非接触計測技術が変える,健康の未来

【発表概要】

  • 心拍や呼吸などの生体信号を簡便かつ高精度に計測できる非接触計測技術を開発
  • 簡便性と正確さを両立し,日常的なモニタリングを可能に
  • 産科分娩や乳幼児モニタリングなど,多岐にわたる応用が期待される

神戸大学科学技術イノベーション研究科の和泉慎太郎准教授は,日常生活における生体情報の非接触計測技術を開発している.体表面から得られる信号を利用し,心拍,呼吸,筋肉の活動などを非接触で高精度に計測できることが特徴だ.従来の装着型センサーの課題を克服し,侵襲をふくむ身体への負担を軽減するとともに,生体情報を簡便・正確に,しかも日常的にモニタリングできる新しい方法を提案している.フレキシブルなセンサーシートを用いた心電図の測定,産科分娩モニタリング,またマイクロ波ドップラーセンサーを活用した心拍計測,乳幼児モニタリングなどを提案している.本研究は,未来のヘルスケアデバイスの基盤技術として大きな可能性を秘めているとともに,日常生活における健康管理の新たな手法を提供するものである.


簡便性と正確さのトレードオフを解消する

近年,健康維持や病気の早期発見のために,日常生活の中で生体情報を継続的にモニタリングする技術が求められている.スマートウォッチなど,腕時計型のウェアラブルデバイスは,心拍数や活動量といった基本的な生体情報を計測できることから,広く普及している.しかし,これらのデバイスは簡便性と正確さがトレードオフであることが課題となっているという.

「たとえば不整脈(心臓の拍動が正常なリズムから外れた状態)の検出には心電図を取得しなければなりません.しかし,心電図を正確に計測する際には複数の電極が必要です.腕時計型のデバイスでは,通常は光学式の脈波センサしか使用できないため,心電図のように心臓の電気的な活動を測定することはできません.一部のデバイスでは左手と右手で接触させたときだけ心電図を測定できる仕組みもありますが,常時計測は依然として難しい.また,電極が少ないため,全ての不整脈を検出できるわけではありません」と和泉慎太郎准教授は解説する.この他にも装着の煩わしさや皮膚への負担,バッテリー寿命の制約など,日常的な生体情報モニタリングには,ユーザー視点から見た課題も多い.和泉准教授は,簡便性を損なわず,体表面の生体情報を正確に計測する非接触計測技術を研究している.

人間の体表面は非常に雄弁だ.生体計測には体表面電位,体表面振動,皮膚状態などが利用できる.体表面の電気的信号である体表面電位からは心電図,筋電図,脳波などを取得できる.体表面振動からは脈拍,呼吸,生体音,活動量が,さらに皮膚状態からは皮膚ガス,発汗などの情報を得ることができる.

中でも和泉准教授は体表面電位と体表面振動に着目し,電波や音波を用いた非接触計測技術を開発している.たとえば,体表面の微弱な電気信号から心臓の動きを捉える方法がある.心臓が収縮・拡張する際,体表面には微弱な電気的信号が現れる.これらの電気的信号は,心臓の筋細胞が伸縮する際に生じるもので,体表面に伝わる.この信号を計測することで,心臓の動きを把握し,心疾患に関わる兆候を検出することができる.「従来の心電図は,体の表面に複数の電極を貼り付けて,これらの電気的信号を検出していました.しかしこれは日常生活下での測定には不向きです」と和泉准教授は話す.

一方で簡便性の高いデバイスには測定の精度に課題がある.たとえばパッチ型デバイスでは,2点間の電位差しか計測できないため,常時計測ができず,貼り付け位置調整と精度にも課題がある.また,スマートウォッチなどの腕時計型デバイスでも常時計測は難しく,計測精度にも課題がある.

「そこで私たちは胸部中央にフレキシブルなセンサーシートを1枚貼り付けることで,簡便かつ正確に電位変化を計測する技術を開発しました(図1).このセンサーシートは,身体に負担なく装着でき,電気信号を高精度に取得することができます」と和泉准教授は話す.この技術によって取得された電気信号を信号処理し,機械学習によって解析することで,医療用の心電図に比肩する情報量で心臓の動きを捉えることが可能だという.その簡便性から日常生活の中で長期間にわたって心臓のモニタリングができ,その正確さによって疾患の早期発見や生活習慣の改善に役立てられる.これが和泉准教授の,簡便性と正確さのトレードオフを解消するアプローチだ.

図1 フレキシブル多電極シート

分娩から乳幼児の突然死までを非接触計測技術で

また,体表面電位の測定技術では,筋肉の収縮で発生する電気信号を計測することもできる.和泉准教授はこれを産科での分娩時モニタリングに応用する.子どもが生まれるときの子宮収縮に伴う生体情報を検出することが狙いだ.現在は超音波によって胎児の心拍を,妊婦の腹部に巻き付ける圧力センサーによって子宮収縮を判定している.これに体表面電位測定技術を加えることで,より安全な分娩をサポートできるという.

和泉准教授は「この技術では,母体の腹部に大きな電極シートを装着し,子宮全体を包み込むように計測を行います(図2).これにより,胎児の心拍や母体の子宮収縮をリアルタイムでモニタリングすることが可能です」と説明する.この技術は,分娩中の母子の状態をより精密にモニタリングし,医療従事者が迅速かつ適切な対応を行うための強力なツールとなることが期待されている.

図2 フレキシブル多電極シートを用いた分娩モニタリング

和泉准教授はさらにマイクロ波ドップラーセンサを用いた非接触計測技術を提案する(図3).心拍によって生じる体表面の微小な動きを捉える技術だ.心臓が収縮・拡張する際,わずかではあるが体表面に振動が発生する.ドップラー効果(※1)を利用して,この振動を計測することで,非接触で心拍をモニタリングできる.この手法は,直接体に触れることなく計測を行えるとともに,被験者に負担をかけずに精度の高いデータを取得できるという利点がある.

図3 マイクロ波ドップラーセンサによる心拍モニタリング

※1 ドップラー効果 波の性質を持つ音や光などが,発生源と観測者の相対的な運動により,波の周波数や波長が変化する現象.

「ドップラー効果を利用しているため,離れた場所からでも心拍を計測することが可能です.実際の計測例では,被験者が息を止めることで呼吸による影響を排除し,心拍のみを正確に捉えることができています.体が動いていない場合に限り正確な計測が可能であり,車内などの振動が多い環境では測定が難しいという制約はありますが,寝ている間などの静止時には有効な方法です」と和泉准教授は話す.マイクロ波ドップラーセンサーを用いた生体計測には,主に高齢者向けの浴室モニタリング(溺水〈おぼれ〉,転倒などの浴室内事故の未然防止),乳幼児モニタリングによって乳幼児突然死症候群(※2)の兆候の検知などに役立てる.

※2 乳幼児突然死症候群 健康に見える乳幼児が突然,予期せずに死亡する現象.SIDSは,通常,1歳未満の乳児に発生し,特に生後2~4か月の間に多く見られる.原因が不明であり,死亡前に特に異常な症状が見られない.

「感性を測る」という野心的計測

和泉准教授は現在,データの取得方法の改善と計測精度の向上を進めている.「非接触生体計測技術が正確に機能するためには,大量のデータが必要です.しかし,長期間にわたって生体情報を正確に収集し,そのデータに適切なラベリング(たとえば,どのデータが異常な状態を示しているかの識別)を行うことはなかなか難しいのです」と和泉准教授は話す.特に,個人の生体情報には個体差が存在するため,統計的に有意なデータを取得するためには,多数の被験者から長期的なデータを集める必要がある.このデータ収集とラベリングの困難さは,機械学習アルゴリズムの精度向上の妨げとなっているという.また,医療用として使用される際には,計測精度の確保が非常に重要であり,現行技術が実際の臨床現場で利用されるためには,より高い精度の信号処理技術が求められる.これらの課題をクリアし,今後は非接触生体計測技術が医療現場で広く利用されるために,医療機器としての認証取得を視野に入れていくという.

さらに和泉准教授は「感性を測る」という野心的な課題に挑戦している.「今後の取り組みとして,人間の感情や情動,いわゆる感性を測ることを試みています.例えば,心拍の感覚を時系列で見ていくと,起きて作業している時と夜寝ている時で特徴が全く異なることがわかります.これらのデータを解析し,自律神経系のうち覚醒時に関与する交感神経と,リラックスに関与する副交感神経の活動割合を把握することで,感性に関連する情報を引き出すことができるかもしれません」と和泉准教授は期待を語る.現時点では個人差の影響が大きく,統計的に優位な結果を得るのが難しいという課題があるという.

現在は美容や睡眠改善など,幅広い応用分野における可能性も探索する.これから非接触計測技術が私たちの日常生活をどのように変えていくのか.講演では,それぞれの技術の詳細について解説される予定だ.

文責 サイエンスライター 森 旭彦

【講演情報】

講演番号:16p‐A36‐8
日常生活下での生体計測に向けた非接触計測技術 Non‐contact measurement for biological measurements in daily life
  • 神戸大学
  • 和泉 慎太郎
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