ナノ秒パルスレーザー加工における
熱拡散と構造変化の高精度観測を実現
【発表概要】
- ナノ秒パルスレーザー加工における材料内部の熱拡散および構造変化を高精度に観測する,時間分解デジタルホログラフィーを応用した「時間分解複素振幅イメージング」技術を開発
- ナノ秒パルスレーザー照射後の材料内部におけるクラック形成および熱拡散過程をナノ秒単位で詳細に解析し,微細構造変化の進行に関する多くの示唆を提供
東京大学大学院理学系研究科の川野将太郎氏(博士課程,当時)らの研究グループは,高強度ナノ秒パルスレーザーを用いた材料加工技術において,材料内部の熱拡散および構造変化のダイナミクスを詳細に観測する新しい手法を開発した.本研究では,川野氏らがフェムト秒レーザーを用いた加工プロセスにおける時間分解ダイナミクスにおいて確立した「時間分解複素振幅イメージング」を応用し,ナノ秒パルスレーザー照射後のクラック形成や熱拡散過程を詳細に解析し,材料内部での物理現象の進行を精密に観測することに成功した.この成果は,今後の精密加工技術の高度化に寄与すると期待される.
高強度ナノ秒パルスレーザーの時間分解ダイナミクスの解明
高強度パルスレーザーを用いた材料加工技術は,非接触で自由形状の微細構造を作製できるため,光学デバイスや半導体製造など幅広い産業分野での応用が進んでいる.東京大学大学院理学系研究科の川野将太郎氏を中心とする研究グループは,高強度パルスレーザー(※1)を用いた材料加工技術の精緻化,さらなる技術開発のために,加工材料内の熱拡散や構造変化のダイナミクスを定量的に観測することの重要性に着目し,これまでにフェムト秒(1フェムト秒は10-15秒)レーザー加工におけるダイナミクスの時間分解観測を行ってきた.
※1 高強度パルスレーザー 非常に高いエネルギー密度を持つレーザー.
パルスレーザーを用いた表面加工では,パルス幅(レーザー光が一度に放出される時間の長さ)によって加工結果に顕著な違いが生じる.例えば,ナノ秒(ns:10億分の1秒)パルスのように長いパルスを使用すると,熱影響部位が広がり,フェムト秒パルスレーザーに比べて加工結果が不鮮明になることが知られている.このような現象が生じる理由は,パルスが物質を実際にアブレーション(蒸発)させるまで持続するためである.レーザーが照射され続けることで,加工材料が持続的にエネルギーを吸収し,その結果,加熱される領域が広がり,大きな熱影響が生じる.しかし,このダイナミクス全体を観測する試みはこれまでほとんど行われてこなかった.初期の電子励起応答や,アブレーションプラズマ(プルーム)の観測は個別に行われてきたが,内部の実際の加熱プロセスや,熱構造変化の観測はほとんど進んでいなかった.
「内部を観察する際,光の振幅だけでなく位相を利用することで,内部での状態変化の情報を得ることができますが,熱による変化は,吹き出したプルームや電子プラズマによる位相変化に比べて桁で小さいため,観測が困難であったと考えられます」と川野氏は述べる.
この課題に対し川野氏らは,高感度で位相変化を捉え,かつ10桁以上の広範な時間で振幅と位相の画像情報を高精度に取得できるシステム,すなわちマルチタイムスケール時間分解複素振幅イメージング系の開発を進めてきた.時間分解デジタルホログラフィーを利用した「時間分解複素振幅イメージング」技術である.これまでに,フェムト秒パルスレーザーによる加工現象を,数百フェムト秒から1ミリ秒まで,シームレスに一つのシステムで現象を捉えることに成功している. 時間分解複素振幅イメージングは,加工プロセス中の透過率変化や位相遅れ画像(※2)をナノ秒の時間分解能で観測することができる.これにより,材料内部で起こる光と物質の相互作用や,熱および構造変化のダイナミクスを理解することができる.透過率の変化は,レーザーによるアブレーションや構造変化の形成が材料の光学的特性にどのような影響を与えるかを示す.他方,位相遅れは,材料内部の熱的ストレスが引き起こす構造変化や温度変化そのものによる屈折率変化を反映する.これらの計測により,レーザー加工が材料に与える影響を,時間的および空間的に詳細に解析することが可能になるのである.「今回はさらにパルス幅の長いナノ秒パルスレーザー加工ではどのような現象が観察されるのかに興味がありました」と川野氏は今回の研究へのモチベーションを語る.
※2 位相遅れ画像(Optical Phase Delay, OPD) 光波が遅延した際の位相変化を画像として可視化したもの
再現性が低いクラック形成という課題
ナノ秒パルスレーザー加工では,1ミリ秒未満の短い時間スケールにおいて多様で複雑な物理現象が重層的に発生する.先行研究では,透明な誘電体材料におけるナノ秒パルスレーザー加工後に生じる形状変化や構造的破壊過程が観察されているが,熱拡散や構造変化のダイナミクスを定量的に観測した報告はほとんどない.その原因は,ナノ秒パルスレーザー加工が,局所的な欠陥を起点とするクラック(内部構造の変化)が生じる非再現的なものであるためだと考えられている.
これにより,有望な観測手法である「ポンプ・プローブ法」が適用困難とされてきたのである.ポンプ・プローブ法は,材料に強力なレーザー(ポンプ光)を照射し,その後にタイミングを遅らせた別のレーザー(プローブ光)を照射して,ある時間遅延における材料の応答をリアルタイムで観測する技術である.時間遅延を変えて繰り返し計測することにより,ポンプ光による加工や励起が材料に与える影響を,極めて短い時間スケールで詳細に解析することが可能だ.しかしこの方法では測定対象の状態が繰り返し同じ条件で変化することが前提となるため,観測する現象の再現性の確保が重要である.
「なぜ再現性が低いのか.いくつかの誘電体材料のナノ秒パルス加工時における波長依存性に関する先行研究を調べたところ,紫外領域の波長になるほど破壊閾値が低下し,再現性が高まることがわかりました」と川野氏は述べる.川野氏らは,パルス幅が短く,波長が短いほど加工の再現性が高まることを前提に,ナノ秒パルスレーザー加工における時間分解複素振幅イメージングを試みた.
ナノ秒パルスレーザー加工の微小な構造変化をとらえる
川野氏は単一光子吸収による価電子帯からの電子励起が可能な誘電体材料とポンプ光源の組み合わせとして,BK7ガラス基板と波長266nm(ナノメートル:100万分の1ミリ)の深紫外ナノ秒パルスレーザー光の組み合わせを選択し,ポンプ・プローブ法を用いた時間分解複素振幅イメージングを行った.実験では,フェムト秒パルスレーザー加工で開発した時間分解複素振幅イメージング技術を,深紫外ナノ秒パルスレーザー加工用に改良した(図1).光源をナノ秒パルスレーザーに変更し,精密な時間分解複素振幅イメージング(時間分解能1ns,空間分解能690nm)が可能なシステムを構築した.
波長 300 nm 付近に吸収端を持つ BK7ガラス基板を対象に,深紫外ナノ秒パルスレーザーを用いた精密な加工実験を行った.ポンプ光として使用したレーザーは,LD 励起固体レーザーから第4高調波として出力される波長266nm,パルス幅6.5ナノ秒の深紫外レーザーであり,直径20µm(マイクロメートル:100万分の1メー トル)のスポットサイズに集光した.また,プローブ光として波長532nm,パルス幅1ナノ秒のレーザー光を使用した.プローブ光はポンプ光との時間的同期をとるために電気的に制御され,ナノ秒単位での時間遅延を与えることが可能なディレイジェネレータが採用された.
「今回の観測で重要なのは内部での変化です.単光子吸収による加工は表面のアブレーションだけでなく,内部の改質も含まれます.例えば,フェムト秒レーザーを集光したアモルファスガラスの内部では改質によって屈折率が永久的に変化します.同様に,今回の加工でも内部における改質が起こり,その形状には再現性があります」と川野氏は語る.
実験の結果,ナノ秒パルスレーザー加工中に発生する複数のナノ秒オーダーの時間分解ダイナミクスが明らかになった.OPD画像には,加工パルス光照射中に生成する励起電子による負の信号や,照射終了時の急冷による符号変化,その後の熱拡散過程を反映した変化が見られた.また,透過率画像には回折パターンの時間的変化が観察され,これはクラック形成過程を反映していると考えられる(図2).
さらに川野氏は,ナノ秒パルスレーザー照射後の透過率および位相の時間分解観測により,クラックの進行とその後の熱拡散過程を詳細に解析した.
まず,レーザー照射によって材料内部でクラックが形成される過程を詳しく分析するために,透過率に注目した.同じフルエンスと時間遅延における5回の透過率計測データを用いて,ポンプ光照射中心と照射領域平均を比較した.すると,ポンプ光照射中心では,パルスの励起直後には透過率の変動が極めて少なく,構造が安定していることが確認された.しかし,励起が終了し,クラック形成されるタイミングの後になると,透過率に顕著なばらつきが現れ,再現性が失われた.しかし,10マイクロ秒(µs:100万分の1秒)を超えたあたりで再び再現性が現れ,透過率が上がっていく傾向が確認されたという(図3).
このばらつきについて,照射領域平均では再現性が確認されたという(図4).これらを比較してみると,ポンプ光照射中心で観察されるばらつきは,クラックの構造が変化することによって光が回折され,その結果として生じる変化であると考えられるという.この結果から,クラックの構造変化が起きている時間は,パルス励起の終了の10ナノ秒前から約10マイクロ秒までであり,その後は材料内部の熱拡散過程(※3)が進行していることが示唆されるという.
※3 熱拡散過程 レーザー加工後に材料内部で発生する熱の拡散やエネルギー減衰の過程.材料の冷却や構造変化に関連する.
川野氏は,熱拡散過程をフェムト秒パルスレーザー加工と比較した.比較に円筒熱源の拡散の時定数(※4)をモデルとして用いたところ,フェムト秒パルスレーザー加工で生じる熱拡散の挙動は,ナノ秒パルスレーザー加工とオーダーで一致することが示唆された.さらに最終的な像との差分画像におけるOPD信号の時空間的拡散を分析することによって,ナノ秒パルスレーザー加工はフェムト秒パルスレーザー加工よりも位相変化量が1桁大きく,高温領域が拡大していることが明らかになり,先行研究と一致する結果が得られたという.
※4 拡散の時定数 物質や熱の拡散速度を示す時間定数で,材料内でのエネルギー伝達や拡散過程を評価するために用いられる指標
「今後は,熱拡散パラメータの温度依存性など,加工中の熱パラメータがどうなっているか,それが加工の中でどう変わっているかといったより詳細な解析を進めていきたいと考えています」と川野氏は今後の展望を語る.注目講演では,今回の実験におけるより詳細な数値が発表される予定だ.
文責 サイエンスライター 森 旭彦
【講演情報】
講演番号:18a‐A25‐3誘電体ガラス基板の深紫外ナノ秒パルスレーザー加工における時間分解複素振幅イメージング Time‐Resolved Complex Optical Field Imaging of Deep‐UV Nanosecond Pulsed Laser Processing of Dielectrics
- 東大院理
- ○川野 将太郎
- 戸田 圭一郎
- 櫻井 治之
- 小西 邦昭
- 井手口 拓郎
email: ABCs-kawano518 DEFg|ecc|u-tokyo|ac|jp
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