PbTiO3薄膜でメモリスタ開発
ニューロモルフィックコンピューティングへ応用を実証

【発表概要】

  • ニューロモルフィックコンピューティングへ応用可能な鉛チタン酸塩(PbTiO3)薄膜のメモリスタ開発
  • 短期記憶から長期記憶への転換やスパイクタイミング依存可塑性(STDP)を電気的に模倣できることを実験で確認
  • 画像認識に向けた二種類のニューラルネットワーク(BP,CNN)の構築・理論計算で,理想値に比肩する正答率を発揮

東京大学大学院工学系研究科の李海寧氏らによる研究グループは,ニューロモルフィックコンピューティングにおける学習機能や記憶機能へ応用することのできる,単結晶鉛チタン酸塩(PbTiO3)薄膜を用いたメモリスタの開発を行い,そのシナプス可塑性を実証した.このメモリスタは,高い自発分極を有する強誘電体であり,その特性がスパイクタイミング依存可塑性(STDP)や短期記憶から長期記憶への転換を模倣できることを実験で確認した.実験では,100回以上のスイープサイクルテストを経て高い耐久性と安定性が実証され,さらにパルス刺激に対する抵抗状態の調整・保持能力も確認された.今後の課題として,材料のスケーラビリティと量産性の向上,動作温度や電圧範囲の最適化,そして長期的なデバイスの信頼性の検証が挙げられる.これらの課題が解決されれば,単結晶PbTiO3ベースのメモリスタは,次世代AIシステムや他の先端的な情報処理において有用な技術となることが期待される.


巨大な自発分極が,人間の脳を模倣する

ニューロモルフィックコンピューティングは,人工知能(AI)や機械学習の分野において,今後ますます重要な役割を担う技術として注目されている.

ニューロモルフィックコンピューティングとは,人間の脳の神経回路の構造と機能を模倣することで,従来のコンピュータとは異なる方法で情報を処理する技術である.これにより,従来のデジタルコンピュータが苦手とする膨大な並列処理や学習,適応に優れたシステムを構築することが可能となる.低消費電力かつ高速な計算を実現することが可能であり,複雑な認識タスクやリアルタイムのデータ処理が求められる分野での応用が期待されている.李海寧氏らの研究グループは,ニューロモルフィックコンピューティングへの応用を前提とした,単結晶の鉛チタン酸塩(PbTiO3 図1)の薄膜によるメモリスタ(※1)に着目する.

図1 PbTiO3

「PbTiO3は,強誘電性(※2),光起電力性(※3),マルチフェロイックス(強磁性と強誘電性を兼ね備えた性質)を兼ね備えた材料です.この材料は,巨大な強誘電分極を持つと報告されており,非常に高い自発分極(※4)性能を示すことが知られています.また,PbTiO3は結晶材料の最小単位である単位セル厚さの極めて薄い膜でも,その強誘電性を維持できるため,ナノスケールのデバイスにおいても有効に利用できる特性を持っています」と 李氏はPbTiO3の性能について解説する.

※1 メモリスタ メモリ(記憶)とレジスタ(抵抗)の機能を兼ね備えた電子素子で,過去の電気的状態を記憶し,抵抗値を変化させることができる.この性質により,ニューロモルフィックコンピューティングや次世代のメモリデバイスとして注目されている.

※2 強誘電性 外部電場がなくても材料内部に永久的な電気分極が存在する性質である.この分極は,外部電場を加えることでその向きを反転させることができるため,データ保存に応用されることがある.

※3 光起電力性 物質が光を吸収することで電圧(光起電力効果)を発生させる性質である.光起電力性を持つ材料は,太陽電池や光検出器などのデバイスに応用される.

※4 自発分極 強誘電体が外部電場なしで自然に持つ電気分極のこと.この自発分極は,材料の構造や特性により決まるものであり,電場を加えることでその方向を反転させることができる.

PbTiO3薄膜のメモリスタの持つ巨大な自発分極は,ニューロモルフィックコンピューティングにおいて理想的とも言える特徴を備えている.自発分極が大きくかつ誘電率が比較的小さいことで,メモリスタは外部からの電場刺激に迅速かつ確実に応答し,抵抗状態を動的に変化させることができるのだ.これにより,神経細胞のシナプスにおける信号伝達の模倣,すなわちスパイクタイミング依存可塑性(STDP※5)や短期記憶(※6)から長期記憶(※7)への動的な転換を行うことができる.「私たち人間は,記憶を強化するために学習と忘却を繰り返します.それを示すのがシナプス可塑性です」と李氏は話す.

※5 スパイクタイミング依存可塑性(STDP) 神経細胞間の信号伝達において,スパイク(神経インパルス)のタイミングに応じてシナプス強度が変化する現象で,脳の学習や記憶のメカニズムを模倣する重要な要素である.

※6 短期記憶 情報が一時的に保持される記憶の形式で,時間の経過とともに忘れられるが,必要に応じて長期記憶に転送されることがある.

※7 長期記憶 長期記憶は,長期間にわたり情報が保持される記憶形式であり,反復学習や強い印象を伴う出来事によって形成される.

ニューロモルフィックコンピューティングにおける機能を十分に発揮

李氏らは,PbTiO3薄膜のニューロモルフィックコンピューティングにおける学習機能や記憶機能の模倣がどの程度実現できるかを評価するため,複数の測定を行った.

まず,スイープサイクルテストにおいてPbTiO3薄膜のメモリスタは,100回以上のスイープサイクルにわたって抵抗状態の変化を安定的に繰り返すことが確認された.スイープサイクルテストでは,電圧を段階的に変化させながら抵抗状態を観察し,メモリスタのスイッチング性能と耐久性が評価された.その結果,メモリスタは高い耐久性を持ち,抵抗の変化においても安定性が保たれることが明らかになった(図2).「100サイクル後の再現性が高く,良好な疲労特性を持っていることが確認できました.メモリスタが繰り返し使用されてもその性能が劣化しないことを示しており,長期間にわたる安定した動作を実現できる可能性を示しています」と李氏は振り返る.

図2 PbTiO3薄膜のI‐V特性 黒矢印は電圧走査の方向.グレーの線が100回の連続スイープサイクルにおける抵抗スイッチングを示している.

次に,パルス刺激による記憶保持・記憶調整の評価が行われた.この実験では,短期間のパルス刺激が与えられた後,メモリスタがどのように抵抗状態を保持し続けるかが調べられた.短期記憶が繰り返しのパルス刺激を受けることで長期記憶へと転換されるプロセスを模倣できることが確認された(図3).

図3 PbTiO3シナプスにおけるメモリーモデルの実験的デモンストレーション.パルスシーケンスは,各サイクルに対してそれぞれ30パルスと100パルスからなる.

さらに,スパイクタイミング依存可塑性を模倣する実験では,メモリスタが神経細胞間のスパイクタイミングに応じて抵抗状態を変化させる能力を持つことが示された.この実験では,スパイクのタイミングによってメモリスタの抵抗が強化されたり,逆に弱化されたりする様子が観察された.この現象は,脳のシナプスで見られる学習機能を再現するものであり,ニューロモルフィックコンピューティングにおける重要な要素として位置づけられている.

「この測定は,接合コンダクタンスを神経シナプスの重みに類推することで,脳の学習メカニズムであるスパイクタイミング依存可塑性を再現するものです.つまり,スパイクの振幅が低い場合には対称的(線形的)なヘッブ則(神経細胞が繰り返し活動することで,それらの間の結合が強化されるという学習ルール)に従った学習規則が適用され,ニューロン間の結びつきが対称的に変化します(図4左).一方で,スパイクの振幅が高い場合には非対称的(非線形的)なヘッブ則が働き,ニューロンの発火タイミングに応じてシナプスの強さが異なる方向に変化します(図4右).また,プレシナプスニューロン(神経発火における前のシナプスニューロン)がポストシナプスニューロン(神経発火における後のシナプスニューロン)よりも先に発火した場合(Δt > 0)には長期増強(LTP)が起こり,シナプス重みが強化されますが,逆にポストシナプスニューロンが先に発火した場合(Δt < 0)には長期抑圧(LTD)が生じ,シナプス重みが弱化します(図5).これらの特性により,PbTiO3が脳の学習パターンを模倣できる可能性が示されています.」(李)

図4 スパイクタイミング依存可塑性(STDP)の電圧依存性
(左 1~1.75 V,右 2.0~2.5 V,Wspike = 10 ms).
ヘッブ学習を示す対称的と非対称的なSTDP特性が現れている.
図5 スパイクタイミング依存可塑性(STDP)のスパイク持続時間依存性
(1~50 ms,Vspike = 1.5 V)

高い実用性に着目し,量産化への改良を進める

また,これらの実験によって得られたデータを用いて,実際のMNISTデータベース(機械学習やAIの分野で広く使用されている,手書きの数字の標準的データセット)を用いた画像認識で理論計算が行われた.PbTiO3の測定結果を踏まえて一般的なニューラルネットワークであるBPニューラルネットワーク(※8)とCNN(※9)を構築し,その神経回路網への構築能力を検証した.結果は,先行研究による理想的なニューラルネットワークと比べ,BPニューラルネットワークでは約92%,CNNでは約96%と比肩する正答率を発揮した(図6).

図6 MNISTデータベースを用いた画像認識の,BPニューラルネットワーク(左)とCNN(右)における,PbTiO3と理想的な先行研究との正答率の比較

※8 BPニューラルネットワーク バックプロパゲーションネットワーク.誤差逆伝播法を用いてニューラルネットワークの重みを調整し,学習を行うアルゴリズムである.広く用いられている学習手法の一つ.

※9 CNN 畳み込みニューラルネットワーク.画像認識や音声認識など,視覚や聴覚に関連するタスクにおいて特に効果的なニューラルネットワークの一種であり,パターン認識に優れた構造を持つ.

以上の実験結果から,PbTiO3ベースのメモリスタは,ニューロモルフィックコンピューティングにおいて学習機能や記憶機能の模倣が可能であることが示されており,その性能や安定性から,次世代のAIシステム等の情報処理における一定の実用性が担保されている.

今後は実際の量産化を前提とした改良を進めていくという.「私たちの研究室では現在,特殊なバッファー層を開発しています.PbTiO3だけではなく,一般的なペロブスカイト単結晶をシリコンウエハーに統合するための,酸化物バッファー層です.これによって,このメモリシステムをシリコンウエハーに統合することができれば,大規模生産・物性並びに耐久性向上を実現することを視野に入れることができます」と李氏は話す.

現在は作製を行い,測定を待っている状況だという.さらに,長期的な使用に耐える,デバイスの信頼性と持続性の検証が行われる.IoTデバイスやエッジコンピューティング,さらには自律型ロボットなど,広範な分野での技術革新を生むことが期待される.

文責 サイエンスライター 森 旭彦

【講演情報】

講演番号:17p‐B3‐18
Single‐Crystalline PbTiO3‐Based Ferroelectric Memristors for Synaptic Plasticity Emulation シナプス可塑性エミュレーションのための単結晶PbTiO3ベース強誘電体メモリスタ
  • Univ. of Tokyo1
  • Gaianixx Inc.2
  • ○(D) Haining Li1
  • Takeshi Kijima1,2
  • (M2) Risa Kataoka1
  • Hiroyasu Yamahara1
  • Hitoshi Tabata1
  • Munetoshi Seki1
  • 東大院工1
  • ガイアニクス株式会社2
  • ○(D)李 海寧1
  • 木島 健1,2
  • 片岡 莉咲1
  • 山原 弘靖1
  • 田畑 仁1
  • 関 宗俊1

email: ABCli DEFbioxide|t|u-tokyo|ac|jp

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