次世代スピントロニクスの新たな基礎原理
量子計量による新たな電気伝導を発見
【発表概要】
- トポロジカルカイラル反強磁性体(Mn3Sn)における量子計量を利用し,非線形ホール効果を室温・卓上の実験環境で実現
- オームの法則とは異なる,制御可能な新たな電気伝導を実証
- スピントロニクス分野における応用に向けた,新たな研究基盤となる技術
東北大学のハン・ジャーハオ(Jiahao Han)准教授,深見俊輔教授ら,および日本原子力研究開発機構による研究グループは,量子計量起源の電気伝導現象である非線形ホール効果の制御を室温・卓上の環境で実現した.一般相対性理論でアインシュタインが提唱した「時空の歪み」による特殊な作用を,室温の物質中における電気伝導で制御・実証した成果である.量子計量に着目することで,新しい電気伝導を見出したこの研究は,次世代のスピントロニクスデバイスや各種センサーの開発に向けた重要な基礎原理となる発見である.
量子計量による新たな物性現象
20世紀の物理学においてもっとも重要な理論のひとつである,アルベルト・アインシュタインが提唱した『一般相対性理論』は,重力を「時空の歪み」から捉えることで,ニュートンの古典的理論を超えた,重力に対する深い理解をもたらした.一般相対性理論は日常から宇宙の極限状態までの重力現象を統一的に説明するフレームワークであり,現代物理学の基盤の一つだ.ハン・ジャーハオ准教授らは,一般相対性理論において重力が時空の構造に与える影響を説明する際に用いられる「時空の歪み」を表す「計量」に起因する現象を,室温の物質中における制御可能な電気伝導として再現した.さらに理論モデルを用いてこの現象を,従来のオームの法則による電気伝導とは大きく異なる特性を示す,量子計量による「非線形ホール効果(※1)」として説明した.
※1 非線形ホール効果 ホール効果は,1879年にエドウィン・ホールによって発見された現象であり,電流が流れている導体や半導体に対して垂直に磁場を加えると,電流の流れと磁場の両方に垂直な方向に電圧が発生する現象(起電力).非線形ホール効果とは,通常のホール効果とは異なり,外部から加えられる電場や磁場に対する物質の応答が線形でなく,より複雑な非線形な応答を示す現象.
「一般相対性理論において時空の歪みが光の経路に影響を与えるのと同様に,物質中での電子の振る舞いが,量子計量によって変化することがこの研究で示されました.この研究は,量子計量を利用して新しい物性現象を理解したものであるとともに,従来のオームの法則による電気伝導とは異なる,制御可能な新しい電気伝導を見出したという点で,将来的には電子デバイス等の開発にも影響を与えうる成果だと感じています」と深見俊輔教授は話す.
次世代スピントロニクスの研究基盤に
量子力学において,物質中の電気伝導を支える電子の状態は,波動関数(※2)によって記述される.電子の振る舞いは,波動関数から得られる量子状態の構造によって決まる.この量子状態の幾何学的性質を定量化するために,1980年にフランスの物理学者,プロヴォスト(Provost)とヴァレ(Vallee)によって提案された量子計量という概念が用いられる.量子計量は,量子状態の幾何学的構造を特徴づけるものであり,電子の振る舞いに重要な影響を与える.
※2 波動関数 量子力学において,物理系(特に粒子)の状態を記述するための関数
「2023年に米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームによって,量子計量の制御はすでに報告されていました.しかしこの報告では,非線形ホール効果は低温(10ケルビン)かつ,7~8テスラという超伝導マグネットでようやく生み出すことのできる高磁場によってのみ実現しています.今回私たちはトポロジカル材料のカイラル反強磁性体(※3),マンガン–スズ合金(Mn3Sn)を用いることで,非線形ホール効果が観測されることを発見したとともに,デバイス開発において現実的な室温環境下,手軽な卓上で量子計量が実証できることを示しました」とハン・ジャーハオ准教授は話す.
※3 カイラル反強磁性体 原子が「カゴメ格子」と呼ばれる,三角形を組み合わせた構造で配列し,隣接する原子のスピンが120度ずつずれた形で配向した物質.
研究チームはトポロジカルカイラル反強磁性体であるMn3Snと重金属である白金(Pt)を用いたヘテロ構造の積層薄膜(Mn3Sn/Pt)を作製し実験を行った.実験では,Mn3Sn/Ptヘテロ構造を用いたホールバー型デバイスを構築し,このデバイスを交互電流源とロックインアンプに接続し,二次ホール電圧(\(\text{V}^{\text{2}\omega}_\text{H}\))を測定(図 b).デバイスに対して0.4テスラの磁場を加え,方向を変えることでスピン構造の変化を誘発した.この実験により非線形ホール効果の信号が観測された.従来の電気伝導は,電流と電圧の関係が線形であり,オームの法則(V=RI) に従うものを指すが,今回の研究で観測された量子計量を利用した非線形ホール効果は,電圧が電流に対し垂直方向に発生し,電流の2乗に比例して電圧が発生する現象として捉えられた.
次に研究グループは,理論モデルを用いて観測された非線形ホール効果の起源を解明した.量子計量はベリー曲率(※4)とは異なる性質を持つ.研究チームは,量子計量が電子の波動関数に与える影響を考慮したモデルを構築し,磁場や温度の変化に応じたスピン構造の変化をシミュレーションした.そしてこの理論モデルで予測された非線形ホール効果が,実験結果と一致することを確認した.具体的には,観測された二次ホール電圧(\(\text{V}^{\text{2}\omega}_\text{H}\))の磁場依存性が理論計算と一致した(図 c)ことから,量子計量起源による非線形ホール効果であることが実証された.また,マンガン–スズ合金 / タンタル(Mn3Sn/Ta)やマンガン–スズ合金 / 酸化マグネシウム(Mn3Sn/MgO)など,異なるキャップ層を持つ対照サンプルを用いて同様の実験を行った.これらのサンプルでは非線形ホール効果が観測されなかったことから,量子計量の効果がマンガン–スズ合金 / 白金(Mn3Sn/Pt)特有のものであることを裏付けた.
※4 ベリー曲率 ベリー位相(量子力学における幾何学的位相の一種.特定の条件下における波動関数の位相)が空間内でどのように分布しているかを記述する量.
同研究は,スピントロニクスなどの研究分野を刺激すると考えられる.「AC‐DC変換,周波数の変換などに応用できると考えています.今回私たちが提案したデバイスは,従来のpn接合と比較すると,磁場の方向によってスイッチのオン・オフができ,スイッチの符号を変えることもできます.整流素子などに応用ができるのではないでしょうか」とハン准教授は話す.
スピントロニクスは,電子の電荷とスピンを利用する電子工学・技術分野であり,現在は高速かつ低消費電力の記憶装置として,従来のメモリ技術を超える性能を持つ磁気メモリ(MRAM)の開発などが進められている.本研究における成果は次世代のスピントロニクスデバイスや各種センサーの開発を誘発する,新しい研究基盤となる可能性がある.
文責 サイエンスライター 森 旭彦
【講演情報】
講演番号:20a‐D61‐1Room‐temperature flexible manipulation of the quantum‐metric structure in a topological chiral antiferromagnet トポロジカルカイラル反強磁性体における量子計量構造の室温・卓上操作
- 国立大学法人東北大学電気通信研究所1
- 東北大学 材料科学高等研究所2
- 東北大学 大学院 工学研究科3
- 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 原子力科学研究所 先端基礎開発センター4
- 東北大学 学際科学フロンティア研究所5
- JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ6
- 東北大学 高等研究機構新領域創成部7
- 東北大学 先端スピントロニクス研究開発センター8
- 量子科学技術研究開発機構9
- 東北大学 国際集積エレクトロニクス研究開発センター10
- 稲盛科学研究機構11
- ◯Jiahao Han1,2
- 内村友宏1,3
- 荒木康史4
- Ju‐Young Yoon1,3
- 竹内祐太朗2
- 山根結太1,5
- 金井駿1,2,3,6,7,8,9
- 家田淳一4
- 大野英男1,2,3,8,10
- 深見俊輔1,2,3,8,10,11
email: ABCjiahao|han|c8 DEFtohoku|ac|jp
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