発光円偏光度の振動周波数を制御し,
新たな光スピントロニクスの情報伝送法の基礎技術を実証

【発表概要】

  • GaNAs量子井戸の膜厚や励起スピン密度を変化させ,局在準位のスピン占有度を調整することで,円偏光度の振動周波数を制御することに成功
  • 円偏光度の振動特性は局在準位のスピン占有度に依存することを実証
  • 光スピントロニクスにおける情報伝送の精度と効率を大幅に向上させる新たな可能性を提示

北海道大学大学院情報科学院の坂野駿介氏(修士課程)らは,GaNAs量子井戸(QW)とInAs量子ドット(QD)から成る族半導体ナノ構造を用いて,発光円偏光度の振動周波数を制御することによる,光スピントロニクスにおける新たな情報伝送法の基礎技術を提案した.本研究で坂野氏らはGaNAs量子井戸の膜厚や励起スピン密度を変化させ,局在準位のスピン占有度を調整することで,円偏光度の振動周波数を制御する手法を検討.実験により局在準位のスピン占有度に応じた円偏光度の振動特性の変化を観測し,円偏光度の振動特性は局在準位のスピン占有度に依存することを実証した.光スピントロニクス技術における情報伝送の精度と効率を大幅に向上させる新たな可能性を示した.


光スピントロニクスによる新たな情報伝送手法

光スピントロニクスは,電子のスピン状態を活用する光技術分野であり,従来のエレクトロニクスとフォトニクスから派生した新しい分野だ.「一般的なスピントロニクス(※1)は金属の強磁性体(外部から磁場を加えなくても自発的に磁化を持つ物質)を材料として用いた,メモリデバイスへの応用が基本です.一方の光スピントロニクスは半導体材料を用いることで,光電変換による情報の伝送に応用を模索する傾向があります」と北海道大学大学院情報科学院の坂野駿介氏(修士課程)は説明する.

※1 スピントロニクス 従来のエレクトロニクスにおける電子の電荷だけでなく,スピン(磁石などにおける磁力のもとになるもの)を利用して情報を処理,保存する技術および研究分野.スピンの向きやその変化を利用することで,より低消費電力で高速な動作を実現する.スピントロニクスの応用には,電子のスピン状態を利用してデータを保存する不揮発性メモリ,MRAM(磁気ランダムアクセスメモリ)がある.

光スピントロニクスは,スピントロニクスの原理を光に応用した技術分野である.電子のスピン状態が光の偏光状態(※2)に反映されるという特性を光電変換に利用し,光を介した情報処理や通信が行われる.この技術は,従来の光通信技術を大きく発展させる可能性を持っており,特に高速・大容量の通信において重要な役割を果たす.現在はチップ間などの短距離間の高速・大容量の光通信,さらには量子通信への応用が期待されている.

※2 偏光 光の電場の振動方向が特定の方向に揃っている状態

坂野氏らの研究は,光スピントロニクスにおける新たな情報伝送手法の提案だ.「今回の研究では,発光円偏光度(CPD ※3)の振動周波数を利用することで,伝送情報量を増大させる方法を開発しました」と坂野氏は話す.

※3 発光円偏光度 Circular Polarization Degree, CPD 発光する光の中で右回りの円偏光(σ+)と左回りの円偏光(σ−)の強度の差を,全体の円偏光強度に対する割合で表した指標.これは,円偏光における右回り円偏光と左回り円偏光の存在割合を定量的に示すものです.

有力な先行研究における光スピントロニクスによる情報伝送では,電子スピンの偏極(外部磁場を加えるなどして,ある集団の電子スピンが特定の方向に揃う状態)を情報キャリアに,電子スピンの偏極が反映された「円偏光」(※4)の向きを伝送に用いていた.今回の坂野氏らのアプローチでは,偏光の度合いを示す指標であるCPDの振動周波数を利用した新しい情報伝送手法を提案している.

※4 円偏光 光の電場が時間とともに回転しながら進行する偏光の一種です.右回りの円偏光(σ+)は,観測者から見て光が進行する方向に向かって,電場ベクトルが時計回りに回転する偏光.左回りの円偏光(σ−)は,観測者から見て光が進行する方向に向かって,電場ベクトルが反時計回りに回転する偏光.

「磁場中では,電子が磁場の方向(量子化軸)を中心に回転(歳差運動 ※5)します.つまり電子スピンの向きが周期的に変動します.電子スピンの偏極は円偏光に反映されますから,円偏光度の極性も同様に振動します.この振動周波数を制御することができれば,新しい情報伝達が可能になると考えました」と坂野氏は話す.

※5 歳差運動 物体の回転軸が外部からの力の影響を受け,円を描くようにゆっくりと回転する運動.スピントロニクスにおける電子スピンの歳差運動は,スピンベースのデバイスや量子コンピューティングにおける情報処理の基盤となる.

この手法では,従来のように電子スピンの偏極のみを利用するのではなく,スピンの位相状態,すなわちスピンが磁場の影響を受けて回転する歳差運動を情報キャリアとして利用する(スピンの位相変化が円偏光度の時間変動として現れ,その振動周波数が情報伝達に利用される).電子スピンの歳差運動が発光円偏光度に影響を与え,その結果,CPDが時間的に振動する.この振動周波数を新たな情報伝送の手段として利用することで,より多くの情報を伝送できる可能性があるという.

室温でCPDの振動周波数制御を実現

坂野氏は,CPDの振動周波数を利用した新しい情報伝送手法を実現するために,GaNAsの局在準位(※6)に捕獲された電子スピン(※7)と伝導電子スピン(※8)の歳差運動の周波数が異なるという性質に着目した.この特性を利用し,膜厚や励起スピン密度を調整することで局在準位におけるスピン占有度を変化させることができ,結果としてCPDの振動周波数を制御できるという仮説を立てた.

※6 局在準位 半導体や絶縁体などの結晶中において,特定の領域に電子や正孔が束縛されている状態を指すエネルギー準位.

※7 電子スピン 電子が持つ固有の角運動量(スピン角運動量)であり,量子力学における基本的な性質の一つ

※8 伝導電子スピン 伝導帯と呼ばれる電気伝導を担うエネルギー帯に属する電子(伝導電子)が持つスピン

「この仮説は,GaNAs量子井戸(※9)とInAs量子ドット(※10)からなる半導体ナノ構造における先行研究に基づいています.この先行研究では,同構造で試料面内方向に磁場を印加することで,室温で円偏光振動をすることが観測されており,これが私たちの仮説の原点となりました.局在準位のスピン占有度がCPDの振動周波数にどのように影響を与えるかについて,従来の研究結果をさらに発展させた形で研究を進めました」と坂野氏は話す.

※9 量子井戸 Quantum Well 半導体物理学において,電子や正孔(ホール)などのキャリアが特定の2次元平面内に閉じ込められ,自由に動ける空間が制限された構造のこと

※10 量子ドット Quantum Dot 半導体ナノ構造の一種.電子や正孔(ホール)が3次元すべての方向に閉じ込められた構造のこと

仮説のもと,坂野氏は以下の実験を行った.まず,異なる膜厚を持つGaNAs量子井戸(QW)とInAs量子ドット(QD)からなる族半導体ナノ構造の試料(図1)を作製し,膜厚が局在準位のスピン占有度に与える影響を調べた.また,異なる強度の励起光を用いて励起スピン密度を変化させ,局在準位に捕獲される電子スピンの数を制御した.これにより,膜厚や励起スピン密度の変化がCPDにどのような影響を与えるかを詳細に観測した.

図1 試料構造

RF窒素プラズマを用いた分子線エピタキシー法により作製.量子ドット成長条件は基板温度 : 480°C,成長速度 : 0.04 ML/s,As分圧 : 4.0 × 10−4 Pa,キャップレート : 0.3 ML/s.窒素導入条件はRF電力 : 350 W,流量 : 1 sccm.

「実験においては,GaNAsに特有のスピンフィルタリング効果を利用しました.この効果は,局在準位が特定の向きの電子スピンを優先的に捕獲することで,結果的に伝導帯電子のスピン偏極を増幅するものです.つまりはスピンを効果的に選別するために利用できるのです.膜厚や励起スピン密度を調整することで,この効果をうまく活用し,CPDの振動周波数の制御性を高めました」と坂野氏は説明する.

坂野氏は試料に横方向の磁場を印加し,時間分解フォトルミネッセンス(TRPL)測定を行った.この測定により,右回りの円偏光(σ+)と左回りの円偏光(σ−)の強度を時間的に解析し,CPDの振動周波数が膜厚や励起スピン密度に応じてどのように変化するかを明らかにした.

実験の結果,坂野氏の仮説は証明された.膜厚が薄くなるにつれて,局在準位の数が減少するため,局在準位のスピン占有度が変化し,CPDの振動周波数が増加することが確認された.また,励起スピン密度を高めることで,局在準位に捕獲されるスピンの数が増加し,それがCPDの振動周波数に顕著な影響を与えることが観測された.

「結論としては円偏光度の振動特性は局在準位のスピン占有度に依存することがわかりました」これにより,坂野氏の仮説が実証され,膜厚や励起スピン密度を調整することでCPDの振動周波数を制御し,情報伝送の新しい手法として利用できる可能性が示された(図2).

「今回の報告のポイントとしては,GaNAsという材料系が,スピン情報のSN比(信号対雑音比)を保ったまま光に変換できるという特性を,スピンの位相の光変換においても活用できたことです.さらに室温という実用上重要な環境においても機能するということがアドバンテージだと思っています」と坂野氏は振り返り,光スピントロニクスの情報伝送における新しさを確信した.

図2 GaNAs量子井戸の厚さが (a)5ナノメートル と (b)20ナノメートル の
試料の磁場0.75 TにおけるCPD時間変化

膜厚20ナノメートルでは,GaNAsの局在準位の数が多いため,5ナノメートルの場合と同じ数のスピンを励起しても,両向きのスピンによる局在準位の占有は十分に進まない.その結果,局在準位に捕獲された束縛電子スピンがCPD振動特性に主に寄与したと考えられる.一方,膜厚5ナノメートルでは,局在準位の数が少なく,両向きスピンによって局在準位が占有され,伝導電子スピンがCPD振動特性により強く寄与したといえる.このように,膜厚による違いがCPD振動特性に影響を与えたことが確認された.

文責 サイエンスライター 森 旭彦

【講演情報】

講演番号:16p‐B2‐6
GaNAs量子井戸とトンネル結合したInAs量子ドットにおける発光円偏光度の磁場による振動特性 Oscillation characteristics of circular polarization degree of photoluminescence from InAs quantum dots tunnel‐coupled with a GaNAs quantum well with magnetic field
  • 北大院情報科学
  • ○坂野駿介
  • 樋浦諭志
  • 高山純一
  • 村山明宏
応用物理学会学術講演会へのご参加は申込みページから
応用物理学会学術講演会参加申込み
2024年 第85回応用物理学会秋季学術講演会
17件の注目講演プレスリリース