次世代の発光材料TMDCで
先行研究と比べて約20倍の電流密度を達成

【発表概要】

  • 遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)単層膜WSe2を利用して,先行研究と比べて約20倍の高い電流密度 10 MA/cm2 を達成
  • 従来の技術では達成できなかった18Vの高電圧印加が可能に
  • 光電子デバイスや量子情報技術の分野での応用が期待

名古屋大学工学部・大学院工学研究科の大井浩司氏らの研究グループは,遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)単層膜 WSe2 を用いた電気二重層発光素子(EDLED)において,高電流密度の注入に成功した.従来,電解質の酸化還元電位により印加可能な電圧が制限されており,高電流密度の実現には課題があったが,本研究では電解質のガラス転移とパルス電圧を利用することでこの制約を克服した.実験では,電解質をガラス転移温度以下に冷却し,イオンを固定化することで酸化還元反応を抑制しつつ,パルス電圧により従来の技術を大幅に超える 18 V の高電圧印加を実現した.この手法により,WSe2 単層膜を用いた EDLED において,これまで報告された中で最も高い 10 MA/cm2 の電流密度を達成した.TMDC 材料を用いた次世代の発光デバイス開発における重要な進展であり,今後の光エレクトロニクス技術の発展に大きく寄与することが期待される.


次世代の発光材料 TMDC

近年,次世代の発光材料として注目を集める遷移金属ダイカルコゲナイド(TMDC)単層膜は,その独自の物性により多様な応用が期待されている.これらの材料は,励起子と呼ばれる準粒子によって発光する特性を持つ.特に 族元素を含む TMDC 単層膜(MX2,M = Mo または W,X = S または Se)は,わずか原子 3 個分の厚さでありながら,直接遷移型半導体(※1)として機能し,室温においても非常に安定した励起子を形成することができる.この励起子の形成に関する研究は数多く進んでおり,その特性は光電子デバイスや量子情報技術などの分野で革新的な進展をもたらす可能性を秘めている.

※1 直接遷移型半導体 エネルギーバンドギャップが直接遷移を起こすため,光を効率よく放出できる半導体.光電子デバイスに広く用いられる.

名古屋大学工学部・大学院工学研究科の大井浩司氏らの研究グループは,円偏光発光(※2)や発光波長の制御に関する研究を進めてきた.今回挑戦するのは,電流励起発光を利用したレーザー素子の開発である.そこで大井氏らが着目した発光材料が TMDC単層膜 WSe2 であった.TMDC を発光材料に用いたレーザー素子は,直接遷移型半導体としての性質により効率的な発光が原理的に可能であり,非常に高い光電変換効率によるデバイスの小型化と高性能化が期待される.

※2 円偏光発光 光の電場ベクトルが円形に回転しながら進行する偏光状態.スピントロニクスや暗号通信技術などで応用される.

しかし,TMDC単層膜 WSe2 には高性能レーザー素子を実現するために不可欠な高い電流密度(※3)の実現に課題が存在する.すでに実現されている TMDC を用いた電気二重層発光素子(EDLED)では,電解質を用いない発光素子に比べ数桁大きな電流密度が実現されているが,電解質の酸化還元電位によって印加可能な電圧が制限され,更なる高電流密度の達成を妨げる要因となっていた.これではレーザー素子を実現するための高電流密度は得られない.

※3 電流密度 単位面積あたりに流れる電流の密度.電流密度が高いほど,発光素子の輝度や出力が向上する.

「先行研究を分析してみると,それらの多くは光励起(※4)によるものであり,電流励起(※5)による研究は非常に限られていました.その原因として,化学的なドーピング(※6)が難しいことが挙げられます.それゆえ,高性能な発光素子の作成が困難でした.一方,コンデンサ構造を利用しキャリアのドーピングによりpn接合(※7)を形成し,電流励起によって発光させる素子が EDLED ですが,コンデンサ構造に用いる電解質の酸化還元反応によって印加可能な電圧に上限があるのが課題でした.そこで私たちは,電解質のガラス転移(※8)とパルス電圧に着目することで,限界を超えた高い電流密度を実現する新たなデバイスを開発しました」と大井氏は話す.

※4 光励起 光を照射して物質内の電子を高エネルギー状態にする現象.これにより,発光や電流の生成が促進される.

※5 電流励起 電流を流して物質内の電子を高エネルギー状態にし,発光を誘発する手法.

※6 ドーピング 半導体に特定の不純物を添加して,電子や正孔の濃度を制御し,材料の電気的特性を改善する技術.

※7 pn接合 p型とn型半導体が接合した構造で,ダイオードやトランジスタの基本構造.電流の整流や増幅に利用される

※8 ガラス転移 物質が温度の低下に伴い,液体からガラス状の固体に変化する現象.イオンの移動が制限されることで安定化する.

高電圧印加に耐える革新的発光素子の実現

「この技術は非常に簡単な構造を持っています.電解質を基板に塗布するだけで,複雑なプロセスを経ることなく発光素子を作製できます.もともとLEC(※9)で使われていた技術ですが,それをTMDC材料に適用したところ,うまく機能しました」と大井氏は話す.

※9 LEC 電解質発光セル.電解質を用いた発光デバイス.イオン移動によりpn接合を形成し,発光を制御する技術.

大井氏らはTMDC単層膜 WSe2 を用いた電流励起発光素子を作製した.その発光メカニズムは,電場を印加することでTMDCの導電帯(※10)や価電子帯(※11)にキャリア(※12)が注入され,これによりn型およびp型のドーピング効果が得られ,pn接合が形成される.このpn接合により,より多くの電流を流すことが可能になる.しかし,高電圧を印加すると,電解質の酸化還元反応が発生し,これによりドーピングが不安定化して失われるという問題が生じる.このため,高電圧の印加が難しく,レーザー素子の開発にはさらなる技術的工夫が必要とされていた.

※10 導電帯 半導体内で電子が自由に移動できるエネルギーレベル.電流が流れる際に重要な役割を果たす.

※11 価電子帯 半導体中で電子が存在する最も高いエネルギーバンド.このバンドから電子が励起されると導電帯に移る.

※12 キャリア 半導体内で電流を運ぶ電子や正孔のこと.キャリアの密度や移動度は材料の導電性を決定する.

そこで大井氏らは,この酸化還元反応を抑制するために試料を冷やす低温凍結実験を行った.発光素子全体を,電解質のガラス転移温度(約200K)以下に冷却することでイオンを固定化し,酸化還元反応を抑制するのである.この手法により,まずは,明確なエレクトロルミネッセンス(EL)の観測に成功した(図1).

図1 1L-WSe2 のEL

さらに,目標である高電圧印加(19V)を行い,印加電圧に依存した電流密度の評価を行い,これまでに報告されたすべてのTMDCを用いた電流発光素子において最も高い電流密度である0.78 MA/cm2(メガアンペア/平方センチメートル)という高い電流密度を達成した(図2).この値は従来の技術を大幅に上回り,高電流密度印加時の発光特性も非常に良好であった.

図2 1L-WSe2 I‐V(電流‐電圧)特性

先行研究の約20倍の高電流密度を達成

「しかし印加電圧が19Vに達すると,たとえ低温凍結によって酸化還元反応を抑制したとしても,高電圧を長時間印加すると電流が減少する傾向が見られました.電流密度として1MA/cm2を目指したく,短時間での電圧印加を試みました.短時間であれば,イオンが動くことができず,pn接合のドーピング状態が固定化されるのではないかと考えたのです」と大井氏は説明する.

大井氏らは室温で実験を行い,DC電圧に重ねて短時間のパルス電圧を印加した.しかし結果としては,印加電圧9Vで0.4MA/cm2の電流密度を達成したものの,短時間の電圧印加でもイオンが固定できず,動いてしまうことが明らかになった.そこで対応策として,電解質を高融点(~360K)のイオン液体に変更した.するとイオンがより高温で固定されるようになり,結果として16Vで1.4MA/cm2という非常に大きな電流密度を達成した(図3).

図3 1L‐WSe2 パルス電圧印加,電流密度と電圧

「印加電圧14V以降,電流密度が非線形的に増加しています.これは,イオンの移動度が非常に遅いものの,大きな電流密度が流れることでジュール熱(※13)が発生し,試料が温められている可能性があります.その結果,パルス電圧が印加されている間に試料に対するドーピングが進行し,電流が増加したと考えられます」と大井氏は話す.

※13 ジュール熱 電流が流れることで発生する熱.抵抗がある物質中で電力損失として発生し,デバイスの温度上昇を引き起こす.

大井氏らはさらにデバイス構造を加工し,電流が集中するような構造に変更した.これにより,18Vの電圧で10MA/cm2を超える電流密度を記録し,先行研究と比べて約20倍という非常に大きな電流密度を達成したのだ(図4).

図4 1L‐WSe2 パルス電圧印加,電流密度と電圧

「現在の電流密度であれば,十分にレーザー発振が可能だと考えられます.次は共振構造を作り,実際にデバイスを開発していきたいと考えています.TMDCは,磁場を用いずに円偏光を発光させることができるという,スピントロニクス(※14)の性質を持ちます.これを利用することで,最終的には室温動作の円偏光レーザー(※15)の実現を目指したい」と大井氏は述べる.

※14 スピントロニクス 電子のスピンと電荷の両方を利用した新しいエレクトロニクス技術.次世代のコンピュータや通信技術に応用される.

※15 円偏光レーザー 光の電場が円形に回転する円偏光を発するレーザー.

円偏光レーザーの応用例として,大井氏は光暗号通信技術(※16)を挙げる.従来の通信では外部からの傍受が可能だが,円偏光レーザーを用いることで傍受が難しくなるという.「円偏光の向きは電子のスピンの向きと対応しているため,将来的には量子コンピューティングなどにも応用できるかもしれません」と大井氏は期待を語る.

※16 光暗号通信技術 光の性質を利用してデータを暗号化し,セキュリティを強化する通信技術.

文責 サイエンスライター 森 旭彦

【講演情報】

講演番号:19p‐A31‐7
単層 WSe2 電流励起発光素子への高密度電流注入 High current density in electric double layer light‐emitting devices of WSe2 monolayers
  • 名大工1
  • 東工大理2
  • 都立大理3
  • ○(D)大井 浩司1
  • 有留 大河1
  • 森順哉1
  • 欧 昊1
  • 蒲 江2
  • 遠藤 尚彦3
  • 宮田 耕充3
  • 竹延 大志1

email: ABCtakenobu DEFnagoya-u|jp

応用物理学会学術講演会へのご参加は申込みページから
応用物理学会学術講演会参加申込み
2024年 第85回応用物理学会秋季学術講演会
17件の注目講演プレスリリース