次世代パワー半導体に新たな量子センサーを導入
炭化ケイ素内部の温度・磁場同時計測が可能に
【発表概要】
- 実用化が進む半導体である炭化ケイ素に導入可能な新たな量子センサーを開発
- シリコン空孔とバナジウムの発光強度比が温度の単調減少関係にあることを,広範な温度範囲で確認
- シリコン空孔による磁場計測と同時に,従来よりも省エネかつ短時間で炭化ケイ素内部の温度計測が可能に
次世代パワー半導体として,炭化ケイ素(SiC)が注目されている.炭化ケイ素は低抵抗・高速動作・高温耐性といった特性を持ち,送電設備や鉄道車両のインバータなどで省エネルギー効果を発揮する.しかし,通電劣化や制御技術の課題が依然として存在する.こうした炭化ケイ素の有用性と課題を念頭に,QSTの佐藤真一郎氏らの研究グループは炭化ケイ素を用いたSiC量子センサーの開発を進め,ナノメートルスケールで温度と磁場をリアルタイム計測する技術を確立した.炭化ケイ素におけるシリコン空孔(VSi−)を用いた光検出磁気共鳴(ODMR)法による磁場測定技術は確立されていたものの,温度計測には高周波電波を長時間照射する手法が必要だった.佐藤氏らは,炭化ケイ素にバナジウム(V)を添加し,バナジウムとシリコン空孔のフォトルミネッセンス(PL)強度比に着目することで,より簡便な温度計測を実現した.さらに,シリコン空孔を用いた磁場計測と組み合わせることで,炭化ケイ素内部の温度と磁場を同時計測することが可能となった.この技術は半導体工学のみならず,1200 nm帯の「生体の窓」を活用した生命科学への応用も期待されている.
炭化ケイ素内の物理量を測定する量子センサー
スマートフォンやパソコンなどの身近な電子機器に使用される半導体の多くは,シリコン(Si)単体からなるシリコンウエハで構成されている.シリコンは長年の研究により理論的な性能限界に近づいており,それを超える性能を求めるためには,素材そのものの見直しが不可欠である.
こうした要求に応えうる次世代パワー半導体の一つが,炭化ケイ素(SiC)である.炭化ケイ素は,従来のシリコンに比べて高い耐圧性と低損失性を備えており,送電設備や高電圧が要求されるデバイスの効率を向上させる.特に,炭化ケイ素の優位性を示す例として,送電設備におけるスイッチング損失の改善が挙げられる.
私たちが日常で使用する電力は,発電所から家庭に届くまでの過程で,さまざまな変電設備を経て電圧や周波数が変換される.この変換の際には小さなエネルギーロスが発生し,それらが積み重なることで大きなエネルギーロスとなる.その要因の一つが,電流のオン・オフの切り替えに起因するスイッチング損失である.従来のシリコンから炭化ケイ素に代替することで,スイッチング損失を約85%削減可能と期待されている.
炭化ケイ素は,従来のシリコンに比べて良好な特性を持つ一方で,通電劣化現象といった特有の問題や,高速動作に耐えうる制御技術の確立が求められるという課題も存在する.こうした問題に対処し,炭化ケイ素を用いたデバイスの研究開発を進めるためには,炭化ケイ素内部を詳細に解析できる高精度なセンサーが不可欠である.佐藤氏らの研究グループは特に量子センサーに着目した.
「SiC量子センサーを用いることで,ナノメートルスケールの領域をデバイスに影響を与えることなく,複数のパラメータを同時かつリアルタイムで計測できる可能性がある」と,佐藤真一郎氏は研究の動機を語る.
SiC量子センサーは,人工衛星や洋上風力発電所など,人間が頻繁に点検できない装置に組み込むことで,長期動作の信頼性向上に寄与する.また,デバイスの試験段階において,ナノメートルスケールで設計通りに動作しているかを評価し,開発プロセスにフィードバックをかけることも可能だ.
さらに,佐藤氏はディレーティングの効果をこのセンサーの活用メリットとして挙げる.「例えば,1キロボルト耐圧の素子があったとして,通常は故障リスクを考慮し,マージンを確保するために900ボルトや800ボルトまで下げて使用します.しかし,これはデバイスメーカーにとっては効率の低下を意味します.こうしたマージンを最小限に抑えるために,このセンサーを組み込み,ギリギリの条件でも安全に動作できるようにし,異常発生時には即座に制御できる仕組みを構築することができます」(佐藤氏)
シリコン空孔のみによる温度計測の煩雑さをバナジウムの添加により大幅改善
炭化ケイ素は,シリコンと炭素(C)が交互に結合した結晶構造を持つ半導体材料である.シリコンに適切な電子線を照射すると,シリコン原子が弾き出され,シリコン空孔(VSi−)が形成される(“V” は空孔 “Vacancy” の略).シリコン空孔は基底状態に2つのスピン副準位を持ち,その僅かなエネルギー差は光検出磁気共鳴(ODMR: Optically Detected Magnetic Resonance)法により測定される.この手法では,マイクロ波を照射し,共鳴する周波数を探索することでスピン状態を解析する.シリコン空孔の位置に磁場が存在すると,ゼーマン効果によりスピン副準位が分裂し,共鳴周波数がシフトする.この性質を利用することで,シリコン空孔を用いた磁場センシングが可能となる.さらに,基底準位の共鳴周波数は温度に全く依存しないため,追加の校正を必要としないことが大きな利点である.
シリコン空孔を活用した量子センサーは,広いダイナミックレンジ,高い温度耐性,長期耐久性,優れた放射線耐性などの特長を持つ.このため,宇宙探査や高放射線環境下での観測など,極限環境における応用が期待される.さらに,シリコン空孔は磁場だけでなく,温度の計測も可能である.励起準位のスピン副準位間のエネルギーは温度依存性をもつため,この特性を利用し,共鳴周波数の変化を測定することで炭化ケイ素内部の温度を推定することが可能となる.
しかし,この温度測定法には信号強度が弱いという課題がある.そのため,高強度の高周波を長時間照射する必要があり,測定の効率や安定性の向上が求められる.この課題を解決するために,佐藤氏は電力中央研究所の村田氏と議論を重ね,新たな手法としてバナジウム(V)の活用を見出した.バナジウムは,炭化ケイ素の電気伝導度を制御するために添加される元素であり,さらにVを添加した炭化ケイ素は電流を流すと発光することが知られている.
「バナジウムの発光をうまく利用し,シリコン空孔と組み合わせれば温度が測定できる.さらに,シリコン空孔を用いれば磁場も測定できるため,温度と磁場の両方を計測できるセンサーが実現できるのではないか,というアイデアに行き着きました」と佐藤氏は語る.
実験では,バナジウムを添加した4H‐SiC(※1)に電子線を照射することで,バナジウムとシリコン空孔を同時に含む炭化ケイ素を作製した.この基板のフォトルミネッセンス(※2)を測定すると,バナジウム由来とシリコン空孔由来の2つの発光ピークが確認された(図1).
※1 4H‐SiC 炭化ケイ素にはSi原子とC原子の積み重なり方によって様々なポリタイプがある.4H‐SiCはその一種.
※2 フォトルミネッセンス,PL 物質に光を当て,励起された物質が脱励起する際に放出される光の波長を測定したもの.放出される光の波長は物質内の構造や不純物原子がもつエネルギー準位によって決まっているため,測定した波長から由来となる構造や原子を特定できる.

この測定を温度を変えて繰り返したところ,低温ではバナジウム由来の発光が強く,高温ではシリコン空孔由来の発光が強くなることが分かった.さらに,温度ごとにバナジウムとシリコン空孔の比を測定したところ(図2),温度に対して単調減少する特性が確認された.この実験では,発光スペクトルを取得するためにスペクトロメーターを使用したが,バナジウム由来とシリコン空孔由来の発光は1190 nmを境に明確に分離できる.そのため,ビームスプリッターを用いるだけでもバナジウムとシリコン空孔の比を測定可能であり,従来手法に比べて短時間かつ簡便に炭化ケイ素内部の温度測定が実現できる.

さらに,この手法による温度測定とシリコン空孔のゼーマン分裂を用いた磁場測定を同時に行う実験を実施した(図3).結果は,設定された磁場によるゼーマン分裂の幅から理論的に計算される共鳴周波数とよく一致しており,同時測定においても正確に磁場を検出できること,そして,炭化ケイ素内部の温度と磁場を同時に測定できることを実証することができた.

半導体工学に限らない応用先「生体の窓」
この量子センサーの応用は,半導体工学にとどまらず,生命科学の分野にも広がる可能性を秘めている.特に注目すべきは,本測定系で使用する光の波長だ.
「現在,私たちが使用している測定系の波長は1200 nm付近にあり,水による減衰が極めて少ないのが特徴です.そのため,細胞を炭化ケイ素の基板の上に置き,上部の顕微鏡で観察することが可能です.また,炭化ケイ素は透明であるため,下側からの観察もできます.こうした手法を用いることで,生体細胞内の活動に伴う変化を可視化できる可能性があります」と佐藤氏は語る.
1200 nm付近の波長は生体組織の深部まで透過できることから「生体の窓」と呼ばれ,生命科学の分野で注目されている.また,生体応用のもう一つの可能性として,佐藤氏は「生体内量子センサー」の活用を挙げる.「炭化ケイ素はナノ粒子化が可能です.さらに,炭化ケイ素の表面は化学修飾が可能で,これにより生体内へ自然に取り込まれます.ナノ粒子が体内に分布することで,特定の部位の温度や磁場を,ナノ粒子の蛍光を測定することで調べることができます」と佐藤氏は説明する.
こうした量子センサーの応用は,すでにダイヤモンドナノ粒子を用いた研究が進められているが,本手法は温度と磁場の同時計測が可能である点で優位性を持つ.炭化ケイ素を活用した量子センサーは,将来的に生体内センシング技術の新たな標準となる可能性を秘めている.
文責 サイエンスライター 森 旭彦・京 鴻一
【講演情報】
講演番号:16p‐K503‐3SiC 中のバナジウム欠陥とシリコン空孔を用いた温度・磁場同時計測 Simultaneous temperature and magnetic field measurement using vanadium impurities and silicon vacancies in SiC
- QST1
- 電中研2
- ○佐藤 真一郎1
- 村田 晃一2