特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 新型コロナ感染流行ダイナミクスの理解と施策の評価 池田陽一1,佐々木健志1,中野貴志1,2 1大阪大学感染症総合教育研究拠点,2大阪大学核物理研究センター

まえがき

2020年初旬に中国武漢で始まったSARS-CoV-2ウイルスによる新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は,ウイルスの変異を伴いながら世界中で何度も流行の波を繰り返しました.日本においても,2022年11月現在までに7つの波を数えるに至りました.この間,生命および社会経済活動の維持のためにさまざまな施策が打たれ,それらの施策の科学的かつ定量的評価は重要な課題となっています.ある施策を評価する場合,その施策が打たれなかった場合にどのようになるのか?を定量的に明らかにしておく必要があり,これを可能にするのが感染症数理モデルです.

代表的な感染症数理モデルとして,1927年に発表されたケルマックとマッケンドリックによるSIRモデルがあります [1].SIRモデルでは,感染者は一様な「平均場」をなすと仮定されているため,集団免疫を形成するまでほぼ指数関数的に感染者数が増加することになります.感染者の平均場とは,未感染の人々は感染者全てと一定の割合で接触するということに他なりません.これは我々が地球上のどこにいても,地球内部の各素片からの万有引力の合力として,一定の重力を受けるのと同じ現象であることを意味しています.現在では,SIRモデルをさらに拡張した数理モデルが用いられることもありますが [2, 3],感染流行の数学的な記述の仕方としては,ケルマック・マッケンドリックによるSIRモデルの考え方が共通して用いられています(このコラムでは,これらの数理モデルの総称として指数モデルと呼ぶこととします).この平均場の仮定,およびそれに起因する感染者数の指数関数的増加は,どれくらい妥当であると考えることができるのでしょうか?

我々はこれまでに,感染者数のデータから一定期間に増加する感染者数(感染スピード)を表す指標として,K値を提唱しました [4].K値は累計感染者数の対数微分と考えることができ,指数関数的に感染者数が増加するのであれば一定の値を取り続けます.しかし,実際の感染者数のデータにおいて,感染流行の初期段階からK値はほぼ線形に減少していくことが確かめられ,累計感染者数は指数関数ではなくゴンペルツ曲線(二重指数関数)に従うことが現象論的に発見されました [5, 6, 7].我々は各流行において累計感染者数の推移が,標準的な指数モデルではなくゴンペルツ曲線に従うのかを感染拡大メカニズムと結びつけ理解すること可能とする「リンク切れモデル」を定式化しました [8].以下では,リンク切れモデルの解説と,実際の感染者数データとの比較から得られる施策評価への応用を紹介します.

リンク切れモデル

SIRモデルでの感染者数の時間変化は [1], \[ \frac{dS(t)}{dt}=-\beta S(t)I(t),\quad\frac{dI(t)}{dt}=\beta S(t)I(t)-\gamma I(t), \] で与えられます.ここで\(t\)は任意の時刻を表し,\(I(t)\)と\(S(t)\)はそれぞれ時刻tにおける感染者数と未感染者数です.\(\beta\)は\(I\)と\(S\)の接触率,\(\gamma\)は感染者の隔離の割合を示すパラメータです.未感染者数が人口\(N\)と同程度の大きさの状況では\(S \sim N\)で一定であり,感染者数\(I\)は指数関数増加することが分かります.

図1: (a) ウイルスが袋小路に入り感染拡大を起こすことができない様子(遮蔽効果).赤(A, C, D)が感染固体で黒(B)は感染者になることが決定している場合,BはEにしかうつすことができず,別コミュニティに属するヒトにうつさない限り感染拡大に寄与しません.(b) リンク切れによる波及効果.AからCへの感染リンクが切れた場合,Cを頂点とする影付きの領域は一時的に感染の脅威から除外されます.

一方で,実際の感染者数の時間推移のデータは,感染初期においても指数関数増加しないことを示しています [4].これはCOVID-19がヒトからヒトへ伝播する感染症であり,二次感染および高次の感染経路(リンク)が繋がり難くなるためで [9],感染者の遮蔽効果や他者にうつさない行動に起因すると考えることができます.ここで遮蔽効果とは,図1(a)に示すように,家庭内感染などで新規感染者の周りに一定数の既感染者が存在する場合に,うつすことが可能な未感染者が限定され,結果として感染リンクが断たれる効果を表します.これらの効果は感染者が平均場をなすと仮定しているSIRモデルでは,感染者は全ての未感染者と接触可能であるとするため,考慮されていません.さらに,リンク切れによる波及効果は図1(b)に示すように極めて大きくなります.我々はこの波及効果までを考慮し,リンク切れが日々一定の割合でリンク切れが起こると仮定した数理モデルを構築しました [8]: \[ S(t)=S_0k^t,\quad\frac{dI(t)}{dt}=\beta S(t)I(t)-\gamma I(t)\Longleftrightarrow\frac{dI(t)}{dt}=\gamma(R_0k^t-1)I(t). \] ここで,\(S(t)\)は\(A\)を定数として,\(dS/dt=Ak^t\)より求めています [10].また,\(R_0\equiv\beta S_0/\gamma\)はウイルスの基本再生産数です.\(I(t)\)については,変数分離型の1階常微分方程式なので解は簡単に求まり, \[ I(t)=I(0)\exp\left[-\frac{\gamma}{\ln{k}}\left\{R_0(1-k^t)+t\ln{k}\right\}\right] \] となります.ここで,\(I(0)\)は時刻\(t=0\)における感染者\(I\)の数です.また,実際の世界各国のデータから\(\gamma\simeq-\ln{k}\)が良い近似として成立しており,陽性となり隔離される累計感染者数\(R(t)\)は,\(dR/dt=\gamma I\)より\(R(t)=N_\infty\exp{(-R_0k^t)}\)(\(N_\infty=R(0)e^{R_0}\)で,\(R(0)\)は時刻\(t=0\)における累計感染者数)と計算でき,ゴンペルツ曲線に従うことが示されます [11].つまり,K値の振る舞いを再現するメカニズムは,感染のリンク切れにあると理解することができます.さらに,リンク切れ確率(\(k_{\text{B}}=1-k\))が,以下の3点を特徴づけることが分かります:

  • 1. 感染者数推移のグラフの形を決定する.
  • 2. 基本再生産数\(R_0\)はリンク切れ確率\(k_{\text{B}}\)に反比例する.
  • 3. 基本再生産数\(R_0\)のウイルスがもたらす最終累計感染者数\(N_\infty\)は,\(e^{R_0}\)に比例する.

これらの特徴を持つリンク切れモデルを用いて,実際の感染流行を解析した結果を次節に示します.

施策の評価

ここでは,リンク切れモデルを通じて施策の評価を考えます.ある施策が打たれ,その効果が現れる場合,日々の感染者数は減少することが想定されていますが,その見積もり方法として指数モデルを反実仮想とする評価が多く存在しています [12].しかし,前節で議論したように,指数モデルでは何も施策を行わない場合には,対象とする集団が集団免疫を獲得するまで感染拡大が続くこととなります.このように,集団免疫獲得前に感染者の増加割合が小さくなった場合には,どのような施策でも効果があったと評価されてしまいます.このような問題を解決するため,リンク切れモデルを用いた政策評価の例を見ていきます.

図2: COVID-19感染症の第6波における新規感染者数の推移.この期間中は1つのゴンペルツ曲線に対応する新規感染者数推移で非常によく記述されていることが確認できます.

図2は,日本におけるCOVID-19感染症の新規感染者数の推移を対数グラフで表したものです.この感染者数の推移はリンク切れモデルから導出されるゴンペルツ曲線の1階微分型により再現され,この時の累計感染者数の推移は1つのゴンペルツ曲線で表されることになります.データをフィットすることにより,\(k_{\text{B}}=0.057\),\(R_0=10.4\)と決定され,この波の最終累計感染者数は\(N_\infty=427\)万人(日本の人口の約3.3%)であることがわかりました.

第6波の感染者数の推移を指数モデルで理解しようとすると,この期間中のどこを見ても指数係数(グラフの傾き)に対応する実効再生産数(施策が打たれている状況下での感染者の再生産数)は単調減少しており,矢継ぎ早に効果的な施策が打たれ,感染者数の指数関数的な増加が抑制されたと解釈することになります.図2の青線は,参考として2週間ごとにデータを区切って,指数関数でデータを再現した結果を示しています.この線はデータをよく再現しているといえますが,各区間で使われている実効再生産数の変化に対して何らかの理由が必要となるという問題点が内在しています.一方で, この推移をリンク切れモデルで分析すると,第6波の流行期間中の推移については単一のリンク切れ確率で表されることから,途中でリンク切れ確率が大きく変化するような事象が無かったことを示唆しています.この2つのモデルによる評価の違いは, K値(\(K=(R(t)-R(t-7))/R(t)\))を見ることで明らかになります.

図3: 2021年12月31日を基準日とした時の,第6波に対するK値の推移.この期間中に行われたまん延防止等重点措置の開始時期も記載されています.

図3は, 日本における第6波の感染者数推移に対応するK値を表し,この間に日本各地で行われたまん延防止等重点措置の開始日も図中に示しました.赤の実線は,図2で求められたゴンペルツ曲線から求められたK値の推移を表しています.この図から,実測データに基づくK値の推移は,フィットにより求められたゴンペルツ曲線に対応するK値に沿って推移することが確認され,各地で行われた施策に対応するようなK値のずれは確認できませんでした.また,図4は,第6波と第7波の感染者数を直接に比較したものであり,この2つの曲線が相似形であることからも,施策(まん延防止等重点措置)による目に見えるような感染者数の減少は無かったと考えられます.同様の結論が緊急事態宣言の効果として確かめられており,結局,日本で行われた施策は大きな効果が無かったと考えられます [13, 14].

一方で,指数モデルの場合には,感染者が平均場をなすという仮定のために,K値が実測値からずれて行き,これを修正するような実効再生産数の変化が必要となることが明らかです.このモデルは,第7波のような何も施策が行われなかった状況では,感染者減を説明するための理由が必要となり,例えば,検出されていない既感染者の増加により集団免疫を達成したと強引に仮定する必要があると考えられます.

図4: 日本における第6波と第7波の直接比較.第7波については感染者数が一定で推移するベースラインの寄与を取り除いた結果を示しています.図3で見たように,第6波の期間中では各地でまん延防止等重点措置が行なわれていましたが,第7波の期間中には施策は行なわれていません.

むすび

本稿では,感染者の遮蔽効果や行動変容による効果を取り込んだ新しいコンパートメントモデルであるリンク切れモデルを紹介し,その応用として日本における第6波の推移を使って,この期間に打たれた施策の効果を見てきました.

第6波の分析結果から,まん延防止等重点措置の効果は非常に小さく,その前後で,リンク切れ確率を変えるような効果は見られませんでした.また,このモデルは対策が行われない状況下では常に指数関数的な増加を示すような従来の指数モデルと性質が大きく異なり,施策による感染のリンク切れ確率がどのように変化したかを見ることで,打たれた対策の評価を行うことができます [13, 14].

台湾と上海の感染者数の推移についても,同様の手法で分析され,疑いを含めた感染者の厳密な隔離が感染者数の抑制に大きな効果があった一方で,この上にロックダウンを行なっても断ち切ることのできない感染のリンクが存在することが明らかとなりました [15].

参考文献・補足