特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 K値を用いたCOVID-19の感染状況のマクロ解析 中野 貴志 大阪大学核物理研究センター

1. まえがき

新型コロナウイルスとの戦いにおいて,人的および経済的損失を最小限に抑えるために,COVID-19感染拡大の変化を迅速に検出し,正確に将来を予測する方法を確立することが極めて重要である.本稿では,感染拡大率を示す新たな指標としてK値を導入し,それを用いたマクロ解析により,日本におけるCOVID-19の感染拡大および収束の特徴を浮き彫りにする1).本研究が,新たな感染の波に対する効果的な対策を考える際の一助となれば幸いである.

2. K値の導入見出し

COVID-19の累計感染者数N(t)が指数関数的に増加すると考えよう.ただし,純指数関数的な増加が永遠に続くことはありえず,さまざまな理由によりどこかで頭打ちになる.現実のデータを見ると,COVID-19の感染者数は流行の初期においても純指数関数的には増えていないが,これまでの感染症モデルでは,感染者数推移を現実の動きと一致させるために,ロックダウンなどの行動制約の効果が大きいと仮定される場合があった.ここでは,連続した時間依存性をあらわに取り入れるため,A(t)を0に収束する微分可能な関数として,と表す.我々が知りたいのはA(t)の時間依存性なので,N(t)の対数の微分をとればよい.値域を1以下に制限するため,分母のとり方に工夫はあるが,時間の単位を経過日数(d)とし,微分dA(t)=dN(t)/N(t)を,COVID-19の感染拡大の典型的なタイムスケールである7日で差分に置き換えたものがK値である.

この導入からもわかるようにK値自体にモデル性はなく,感染拡大率に対する単なる速度計である.Kが一定の値をとるとき,N(d)は純指数関数的に増加する.例えば,K=0.5ならば,累計感染者数は1週間に2倍のペースで増加を続ける.一方,世界に先行して感染が拡大した中国の累計感染者数で求めたKの推移を観察すると,経過日数の関数として一定の傾きで直線的に推移していることがわかった.これは指数係数が一定の割合で減衰していることを示唆する.そこでA(d)が1より小さい公比k

のように減衰すると仮定するとK値はその値域の大部分の領域(0.25 < K < 0.9)でほぼ直線的に推移する.このとき,K値の傾きK’と減衰定数k の間には,近似的にk =1+2.88K’の関係が成り立つ2)

A(d) の一定減衰は,当初は仮定として導入されたが,その後多くの国や地域の解析により,観測事実として確立しつつある.累計感染者数の時間発展が一定減衰に従うとき,実データの解析と将来の予測の手順は以下のとおりである.

  • 1まず累計感染者数N(d)の推移からK(d)を求める.
  • 2Kが直線的に変化している領域をフィットして傾きK’を求め,その値からk を計算する.
  • 3漸化式を用いて将来のN(d)を予測する.日々の新規感染者数はN(d)-N(d-1)で与えられる.

3. K値解析による施策の評価

図1 フランスにおけるK値の推移.

K値を用いることにより,感染者数推移の予測,感染再拡大の兆候の検知などが可能になるが,本稿ではK値解析による施策の評価に焦点を絞る.施策が感染収束スピードに顕著な影響を与えた例として,図1に示すのが,フランスのK値の推移である.感染拡大初期では,傾きK’が -0.015/d であったが,3月上旬のロックダウンの効果が現れ始めた3月下旬には -0.026/d となり,ロックダウンにより感染収束スピードが増加したことが分かる.4月下旬以降も一定減衰仮定の下で求めた予想線に沿ってK値が推移しており,長期間にわたって一定の感染収束スピードが維持されていることがわかる.このロックダウンによる不連続なK’の変化は,ドイツ,英国,イタリアなど多くのヨーロッパ諸国で共通に見られる現象である.また,程度の差こそあれ,対策を講じる前の感染初期でも自然減の傾向にあること,つまり,傾きK’が負であることも各国に共通する.

図2 日本におけるK値の推移.

一方,日本におけるK値の推移は極めて安定で,図2に示すように,ヨーロッパのいくつかの国で見られたような社会活動の制限などの施策による感染収束速度の増加は見られない.4月3日から24日にかけては,傾きが -0.028/d の直線でよく近似され,それ以降もk =0.92の予想線に沿って推移している.大阪府から提供されたデータによると,陽性確定日と推定感染日の間には約2週間のタイムラグがあるため,3月中旬以降に実施された施策や対策は感染収束スピードの変化にほとんど寄与しなかったことがわかる.また,K’の絶対値がロックダウン後のヨーロッパ諸国よりも大きいことから,日本でのCOVID-19の感染拡大には他の多くのアジア諸国と同様,強い自然減の傾向があることもわかる.時期的に効果があった可能性がある3密回避についても,単なる密集は感染拡大や収束の遅延を招かない可能性が高い.図3に示すように人口密度上位7都府県とそれ以外の府県のK値の推移に差はなく,感染の波の高さは感染拡大初期の感染者数で決まっていたことが分かる.

図3 日本の人口密度上位7都府県とそれ以外の府県のK値と累計感染者数の推移.

4. クラスター対策について

COVID-19という潜伏期間が長く,無症状の感染者からも伝染する非常にやっかいな敵と戦うには適切な対策をタイムリーに打つことが重要である.英国での感染拡大初期に集団免疫の形成という悪手を打ったばかりに医療崩壊の危機を招いたのは記憶に新しい.一方,隣国の韓国や台湾では徹底した検査と追跡による感染者と感染予備軍の同定と隔離という手を打って,K’= -0.052/d(台湾),K’= -0.082/d(韓国)という驚異的なスピードで感染を封じ込めた.

日本に新たな感染の波が到来したとき,どのような対策が効果的であろうか? そのヒントとなる事例が大阪にある.図4は,大阪における3月のK値の推移である.大阪では市内の4カ所のライブハウスでクラスター感染が起こったが,ライブハウス側の協力を得て店名を公表し,イベント参加者の特定,追跡,陽性者の隔離を行ったことにより,急速に感染収束に持ち込んだ.3月初旬から中旬にかけての感染収束期のK’の値は,-0.066/d である.ちなみに3月下旬から4月初旬にかけてのK値を見ると0.5に張り付いているように見える.これは1週間で倍増のペースであるが,収束に持ち込んだ中国・武漢発の第1波と欧米由来の第2波を分離しなかったことに起因する人為的なみかけの現象である.

図4 3月の大阪における武漢発第1波によるK値の推移.

5. むすび

K値の推移を読み解くと,日本ではCOVID-19感染が当初から一定の減衰率で収束に向かったことがわかる.緊急事態宣言に伴う社会活動の制限や自粛は,経済や教育に対する影響が甚大なわりには効果が見えない.第1波と第2波の経験から,第3波の被害を最小に抑えるには,新たな感染源の流入を防ぐ水際対策,収束スピードの増加に顕著な効果が見られたクラスター対策,感染拡大の早期検知の順に重要である.人の命を守るという原点に立ち戻れば,今後も散発的に発生すると予想されるクラスター感染が病院や福祉施設で起こらないよう工夫や対策が必要であろう.

文献

著者プロフィール

中野 貴志

(なかの たかし)

大阪大学核物理研究センター教授,2013年からセンター長.専門は原子核物理学だが,アルファ線核医学治療の開発や宇宙線起源ソフトエラーの評価等の産学連携研究にも取り組む.新型コロナ感染拡大の新たな指標としてK値を発案した.大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議オブザーバー.