海洋マイクロプラスチック問題で活躍する光技術 波長可変レーザによる迅速計測 秋草直大 浜松ホトニクス株式会社 特別WEBコラム GX : グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理

はじめに

魚の漁獲量よりも海洋プラスチックごみの量の方が30年後には多くなる!? 世界の海に漂うプラスチックごみの量が今後も増え続けると「2050年までに魚の総重量を超す」という衝撃的な予測が,2016年に開催された世界経済フォーラム(ダボス会議)で報告されています [1].この報告によりますと,海洋プラスチックごみは,500 mLのペットボトルに換算すると3200億本分に相当し,今後20年間でさらに倍増するとみられています.いまやプラスチックごみは,サーマルリサイクル(燃やすゴミ?)の原料として無視できないエネルギ源になっていますが,そのうちマグロより海洋プラスチックごみの方が高値で取引される時代が来るかもしれません.プラスチックの発明は,1800年代にアメリカで起きた空前のビリヤードブームがきっかけであったと言われています [2].富裕層の遊びとして大流行,次々とビリヤード場がオープンし大きな娯楽産業に成長します.当時,ビリヤードの玉は象牙で作られていましたが,象の乱獲とともにビリヤードの玉に使われている象牙が不足してきました.そこで,象牙に代わるビリヤードの玉の開発に懸賞金がかけられ,米国の発明家が1869年に綿の中にあるセルロースから,「セルロイド」の合成に成功したことが,最初のプラスチックであると言われています.強度の点でビリヤードの玉には不向きであり結局は採用されなかったようですが,プラスチックの発明が,今で言うところの社会的ニーズ,マーケットインの考え方に根差した発明であったことに驚かされます.

海洋マイクロプラスチックとは

マイクロプラスチックとは,粒径が5 mm以下の微細なプラスチック粒子のことです.1次発生源としては,化学繊維の衣料,タイヤの摩耗,道路塗料の風化,人工芝や靴底などのシティダスト,洗顔用品等に含まれるスクラブ材などと言われています [3].その小ささゆえに回収が困難であり,時間が経っても自然分解されないというプラスチックの性質も相まって,ひとたび海洋に放出されると長期にわたって海を漂うことが知られています.ストローが紙になるなど,マイクロプラスチックの脅威を回避しつつある気分に浸っている人類ですが,実は,海洋に漂っているプラスチックは,あるはずの量の1~10%程度しか見つかっていないという報告があります [4].海洋マイクロプラスチックの脅威を地球上から無くすためには,科学的根拠に基づいたプロコトルが求められます.しかしながら,陸上でのプラスチックごみの行方や,海洋に流出していく量や経路など,科学的知見を深めるためのデータや観測体制が不足しているのが実情です.特に微粒な数百マイクロメートル以下の海洋マイクロプラスチックは,その動態すらよくわかっていないことが指摘されています.

図1:海洋マイクロプラスチック.

量子カスケードレーザによる海洋マイクロプラスチックの迅速分析

海洋マイクロプラスチックを分析する手法はいくつかありますが,サンプルの乾燥などの前処理や装置の大きさの制限から,洋上で回収したサンプルを持ち帰り陸上で分析する方法が主に用いられています.しかしながら,微粒なマイクロプラスチックの動態を大規模にマッピングするためには,船上でサンプルを回収してすぐに分析できるような小型の分析装置が求められています.そのようなニーズに対して,波長可変レーザによる海洋マイクロプラスチックの迅速計測の取り組みを紹介します(図2).

図2:波長可変レーザによる海洋マイクロプラスチックの迅速計測.
データ提供:産業技術総合研究所 センシングシステム研究センター

量子カスケードレーザ(QCL)[注1] は,高出力な中赤外線(4~10 µm)を発振する小型の半導体レーザで,温室効果ガスであるメタンや一酸化二窒素(N2O)などのガス濃度計測用の光源として使われています.近年では,波長可変幅が2 µmを超える広帯域な波長スキャンを可能にした外部共振型のQCLも開発され [5,6],赤外分析の主役であるフーリエ変換型赤外分光法(FTIR)[注2] にとって代わる“分光器レーザ”として注目されています [7].我々は,この波長可変QCLと赤外線アレイ検出器や赤外カメラを組み合わせることで,乾燥や比重分離などの煩雑で時間のかかる前処理が必要なく,船上などでサンプルを回収してすぐに分析できるような小型分析装置の開発に取り組んでいます [8].

結び

かつて,人為起源の二酸化炭素の排出量と地球温暖化の因果関係が,炭素循環やミッシングシンクの解明を経て包括的に説明されたように,海洋プラスチックごみ問題に関しても,発生起源や海洋中での動態,海洋生態系への影響などを工学的に解明する必要があります.これらの研究はまさに始まったばかりです.中赤外レーザを用いた光技術は,海洋に漂っているプラスチックごみが,あるはずの量の1~10%程度しか見つかっていない,“消えたマイクロプラスチックの謎”を解明する一つの手がかりになると期待されています.

注釈

  • [注1] 量子カスケードレーザ(Quantum Cascade Laser: QCL)
    中赤外から遠赤外の波長領域で発振する半導体レーザで,量子構造を用いた発光層が多段につながったカスケード構造により高い出力を得ることができる光源.
  • [注2] フーリエ変換型赤外分光法(Fourier Transform Infrared Spectroscopy: FTIR)
    主にマイケルソン干渉計を利用した赤外分光法で,干渉信号をフーリエ変換と呼ばれる数学的演算により,時間領域から周波数領域に変換してスペクトルを計測する分析手法.

参考文献など

  • [1]世界経済フォーラムレポート, “The New Plastics Economy: Rethinking the future of plastics” (2016) [Web].
  • [2]Wikipedia, 「ビリヤードボール」[Web].
  • [3]MUFGファースト・センティアサステナブル投資研究所, 「マイクロプラスチック汚染」 (2021) [Web].
  • [4]日本放送協会, 「90%が行方不明!? 海洋プラスチック汚染 最新報告」サイエンスZERO (2023年11月19日) [Web].
  • [5]杉山厚志, 光アライアンス 33(4), 57 (2022) [Web].
  • [6]枝村忠孝, GX: グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理「波長掃引中赤外レーザーによる火山ガスの分光分析」(2021) [Web].
  • [7]秋草直大, 朝倉雅之, 山本洋夫, 藁科禎久, 「中赤外・量子カスケードレーザと赤外線検出素子の新展開」OPTRONICS 42(7), 83 (2023) [Web].
  • [8]JST研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)課題番号: JPMJTR201F [Web].

著者プロフィール

秋草 直大

(あきくさ なおた)

浜松ホトニクス株式会社 固体開発部固体先進基盤本部.1996年北海道大学工学部卒業,同年,浜松ホトニクス株式会社入社.中央研究所にて量子カスケードレーザの研究開発に従事,レーザ事業推進部などを経て現在に至る.専門は量子エレクトロニクス,レーザ分光.第21回日本光学会光設計優秀賞,第34回櫻井健二郎氏記念賞などを受賞.