特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 COVID-19診断とバイオセンサ研究 民谷 栄一 産業技術総合研究所,大阪大学

1. はじめに:COVID-19 診断方法の動向

今回の新型コロナウイルスに関する特集では,このウイルス自体を捉え,解析し,対処するための手法として応用物理学分野が関連するトピックスが取り上げられている.その中で,指定感染症として確定診断するための診断機器の開発について,多くのトピックスを示している.なお,厚生労働省は,今回の診断技術開発を推進するための,体外診断用医薬品(検査キット)としての承認を迅速に行っており,本年9月8日の時点では,ウイルス遺伝子を測定対象とした核酸増幅法として13点,ウイルスのタンパク抗原を測定対象とする抗原検査法として3点が薬事承認を受けている1).それ以外にも薬事承認には至らないが,公的医療保険適応を可能とする評価を受けた手法も多く示されている.これらの一部を表1にまとめている.

表1 厚労省に承認されたCOVID-19診断法の例.

我々の身の回りに存在する他のウイルスや微生物と区別して選択特異的にかつ高感度に診断することが求められる.そのためにCOVID-19ウイルス由来の特定の遺伝子配列を選定し,高感度にとらえるPCRは最も多く採用されている.PCR増幅回数と増幅されたターゲットDNA量の相関を定量的に測定し,閾(しきい)値を超えると陽性判定する.温度サイクルを必要とするため,装置設計上の制約があるが,数コピーから10コピーの遺伝子を測定できる高感度な手法としてその優位性を誇っている.簡便な利用を可能とするために,PCR (Polymerase Chain Reaction) 法に代わって一定温度で短時間で増幅することができるLAMP (Loop-Mediated Isothermal Amplification) 法や SmartAmp (Smart Amplification Process) 法は,我が国で開発された手法としても注目される.またRNAを増幅するTRC (Transcription-Reverse Transcription Concerted) 法,TMA (Transcription-Mediated Amplification) 法も採用され,これらも温度サイクルを必要としない方法として有用である.通常のPCRでは,1時間以上の反応を必要としていたが,温度サイクルをマイクロ流体技術を用いて高速に行い,10分程度でPCR診断を可能とする装置も開発されている.なお,検出機器としては,ほとんどが蛍光測定である.これは高感度な分子プローブとしての蛍光剤の活用とよくマッチングさせるためである.

一方,ウイルスの表面や内部に含まれる特定のタンパク成分を対象(スパイクタンパク(S),ヌクレオカプシドタンパク(N) など)とする診断方法もある.これにはイムアッセイが用いられている.現在までのところ,厚労省の体外診断薬抗原検査では,定性的な簡易キット2点と定量可能な手法1点が認定されている.簡易キットでは,目視にて判定できるようには発色反応を利用している.酵素標識抗体を用いて酵素反応により発色する形式と発色粒子標識抗体を用いて発色する形式がある.また定量法では,酵素反応を化学発光を用いたCLEIA (Chemiluminescence Enzyme Immunoassay) 法による高感度な測定を実現している.簡易定性キットは103〜104コピー,定量法では,10〜100コピーの感度を実現している.これは,ウイルスRNA 1分子当たり,約103個の抗原タンパク分子が存在するためである.PCR法に比べると感度が劣るが,症状発症後2日め以降から9日めまでの被験者に対しては陰性証明を可能としている.それ以外の場合では確定診断には,核酸増幅法との併用を必要としている2)

また,血液を用いた抗体検査については,体外診断薬としては承認されてはいないが,疫学調査としての活用が期待されている.抗原となるSタンパクやNタンパクをセンサ部に配置してこれと結合する抗体(IgM や IgG)量を測定するものでイムノアッセイの原理と同様である.本年6月に東京,大阪,仙台で抗体保有率を調べる目的で行われた厚労省の検査ではロシュ・ダイアグノスティックス社の電気化学発光免疫法と米国アボット社の化学発光免疫法が用いられたが,これは発光を用いる方法で,高感度測定として優れているためである.

2. バイオセンサとは

前述したようにCOVID-19を測定対象とした診断機器の開発に関する状況を実用レベルで紹介したが,診断のためには,COVID-19由来の特定遺伝子や特定タンパク質をターゲットしており,これらの分子を選択的に認識できる生体分子反応機構を用いる.ここでは,遺伝子増幅反応系と抗原抗体反応系である.これらは,分子レベルでの反応であり,診断分子を直接に定量するため,信頼度もあり,確定的な診断を可能としている.健康診断などで行われる血液検査,尿検査などでもこうした診断分子マーカーの測定が行われている.分子反応を計測するにはそのための計測装置が必要であり,COVID-19での診断でも行われたように蛍光や発色などの物理的な信号への変換が必要である.すなわち,バイオセンサの考え方を一般論として示すと,特定分子を選択的に認識するための分子系とこれに由来する信号を物理情報へ変換するためのデバイスの組み合わせにより構成されている(図1).バイオセンサは,生体の有する優れた分子識別機能を活用し,これと電極,半導体,光検出素子などのトランスジューサ(信号変換デバイス)から構成される分子計測装置である.

図1 バイオセンサの原理.

分子認識機能を有するバイオ認識素子としては,酵素,抗体,DNA/RNA,レセプタタンパクなどの生体由来の生体分子から人工的に作成した脂質,糖鎖,分子インプリントポリマーなどの人工分子も用いられる.これらの分子は,特定の分子との結合や触媒反応を誘起することができ,これらを計測デバイスで捉えるが,目に見えない分子反応を電気信号に変換する意味合いでトランスジューサ(信号変換デバイス)とも称される.また,毒性,変異原性,細胞再生/分化などの計測には,単一の分子認識分子では評価は困難である.こうした細胞機能に関わる分子の計測には,細胞や組織自体をバイオセンサの分子認識素子として用いることも可能である.トランスジューサには,分子認識反応の形式によって選択される.酵素反応により酸化還元物質が生成されれば,これを電気化学反応として電極や電界効果型トランジスタ (Field Effect Transistor: FET) を用いて捉えることができる.また,発色,蛍光,発光反応に着目して光検知素子が用いられる.磁性材料を用いたバイオセンサには磁気素子が,表面弾性波や原子間力プローブなどを用いて音波領域の変化に着目するバイオセンサも開発されている.酵素反応や分子結合反応には大きな発熱や吸熱を伴うものもあり,これはサーミスタなどの温度検知素子を用いて計測するバイオセンサも知られている.バイオセンサから得られる信号には,センサとして必要な測定対象の濃度との相関性や感度や測定範囲を向上するための情報処理技術が用いられる.例えば,ニューラル情報処理,深層学習などの手法も取り入れられている.バイオセンサの応用分野は,健康医療,環境保全,食の安全など我々の生活とも密接に関連する社会技術である.バイオセンサは,バイオ,化学,物理,ITといった研究分野を統合させることにより研究開発が可能となる実学といっても良い.

3. バイオセンサ研究の歴史

バイオセンサ研究は,米国の Clark らが行った酵素反応と電気化学を用いた血糖値センサが最初である.このセンサでは,酵素固定化膜と酸素電極が用いられた.血糖値の主体であるグルコースを選択的に酸化触媒する酵素であるグルコースオキシダーゼを電極上に固定化することにより,反応により消費される溶存酸素を電極で測定するものであった.その成果は Nature誌に掲載されたが,その題目は,Enzyme Electrode とされ,電気化学がバイオセンサ研究の始まりであった.これは,その後,自己診断血糖値計として実用化された.特に,1991年に(株)京都第一科学(現・アークレイ(株))と松下電器産業(株)(現・パナソニック(株))が,印刷電極を用いて量産化に成功し,現在,糖尿病患者の在宅で測定できる血糖値センサとして約8000億円(世界市場)に至っている.このように日本企業の貢献が極めて大きい.また,酵素を分子認識素子として用いるだけでなく,軽部らは微生物を用いた微生物センサを,相沢らは,抗体を用いた免疫センサを開発した.通常の電極だけでなく,FET半導体電極を用いた研究も行われた.電気化学と同様に光計測技術を用いたバイオセンサの開発も積極的に行われた.1990年からヒト全遺伝子の解析が世界プロジェクトとして米国を主導に行われたが,その成果を考慮した遺伝子チップの開発が本格的に始まった.米国 Affymetrix社が半導体リソグラフィと遺伝子合成技術を組み合わせてDNAオリゴヌクレオチド分子ライブラリを100万種類を網羅的に配置した遺伝子チップを作成できることを示し,インパクトを与えた.また,以前から知られていた表面プラズモン共鳴現象を活用した標識剤を不要なラベルフリーなバイオセンサの開発も行われた.21世紀初頭のナノテクイニシアティブに代表されるようにナノ材料やナノデバイスの開発が進むにつれ,これを活用したナノバイオセンサの研究が進展した.著者らの研究例で示すが,電気化学,フォトニクス,ナノテクノロジー,マイクロ作成技術がバイオセンサ開発に貢献した(図2)3,4)

図2 バイオセンサ研究の歴史と異分野融合.

ナノバイオセンサを用いたCOVID-19 の最新の事例を紹介する.グラフェンをゲートに用いたFETを用いたバイオセンサがすでに知られている.このFETのゲート部に分子認識素子としてスパイクタンパク (S) を認識できる抗体を配置し,そこにウイルスが結合するとゲート電位変化を与えるため,その電位変化量を指標にして100コピーの高感度測定が実現している5).また,ナノフォトニックデバイスとして,ナノ金属構造の光特性である局在表面プラズモン共鳴現象 (Local Surface Plasmon Resonance: LSPR) を着目したナノデバイスを用いたバイオセンサが開発されている.LSPRの共鳴波長は金属ナノ構造の構成や形状,周囲の環境の屈折率などに依存する.この特徴を利用すると,ナノ構造表面近傍の分子の結合を局所的な屈折率の変化として検出できるため,LSPRはラベルフリー測定に応用できる.すでに抗原抗体反応や遺伝子のハイブリッド形成反応と連携したバイオセンサが開発されている.COVID-19 の検出については,遺伝子ハイブリッド形成反応をプラズモニック光熱効果との連携したLSPRセンサを用いて試みられている6)

4. おわりに:Society 5.0 に向けた IoT ツールとしてのバイオセンサへの期待

バイオセンサに応用分野としては図3に示すように健康医療,環境,食農水分野と極めて多岐にわたっている.特に臨床診断ヘルスケア分野への期待が大きい.科学技術の進展,ライフスタイルの変容などもあって日本はもとより,世界的にも高齢化社会が進行している.その中で健康寿命と実寿命との乖離(かいり)が大きな社会負担となっており,問題を解決するためのヘルスケア技術開発やその社会実装が求められている.一方,インターネット,スマートフォンなどのディジタル社会インフラが整備されており,Society 5.0 では,IoT (Internet of Things) で全ての人とモノがつながり,さまざまな知識や情報が共有され,今までにない新たな価値を生み出すことで,これらの課題や困難を克服し,老若男女一人ひとりが快適で活躍できる社会を目指すとしている.IoT にどのような情報や知識を共有するかがその鍵となる.ヘルスケアにおいては個人個人の健康状態,疾病履歴も異なるため,パーソナルな情報の入手とその解析が不可欠である.すでに,スマートフォンとリンクしたバイタル情報のセンシングも可能になっているが,体液の診断マーカー分子をモニタリングするためのセンサは不十分である.特に,人間ドックやクリニックで行われるように血液や尿などの体液の分析データは,極めて重要で,診断のためのエビデンスとして不可欠である.在宅で行う自己血糖値センサのように被験者自らでも,指先からの1滴の血液を採取し,種々の測定することも可能であろう.侵襲性のない尿,汗,唾液などを用いた診断も可能になっている.最近の新型コロナウイルス感染症では,唾液での診断も有効になっている.

図3 バイオセンサの応用分野とスマート社会.

米国コロラド大学,ハーバード大学などの研究グループの報告によれば,COVID-19のサーべイランスのためには診断方法の測定感度ではなく,測定頻度のほうが重要であることを示唆している7).報告では,103/mL と 105/mL の測定感度を想定して毎日,3日,1週間,2週間ごとに測定して,陽性となった場合には隔離するようにした場合,どのようになるかをシミュレーションしている.その結果,毎日測定すれば,いずれの感度でも100 % の感染防御ができ,3日おきでは90 % (103/mL),85 % (105/mL),1週間おきで60 % (103/mL),50 % (105/mL) の感染の防止ができるとしている.105/mLの感度は,PCR法でなくて安価な抗原検査キットでも実現できるものであり,測定頻度を考慮した診断方法の実施により感染制御が実現できることを示している.さらに診断に要する時間の遅れが大きな影響を与えることも示している.迅速な診断とその対応が重要と指摘している.日常的にバイオセンサを用いて健康状態を把握し,社会の安全安心を維持し,経済活動を実施するためにもバイオセンサのさらなる貢献を期待している.

文献

著者プロフィール

民谷 栄一

(たみや えいいち)

国立研究開発法人産業技術総合研究所先端フォトニクス・バイオセンシングオープンイノベーションラボラトリ ラボ長,大阪大学産業科学研究所特任教授.東京工業大学で工学博士を取得後,同大助手,講師,東京大学助教授を経て北陸先端科学技術大学教授,2007年から阪大教授,17年から現職の産総研ラボ長.北陸先端大名誉教授,阪大名誉教授.大学発ベンチャー起業にも関わる.専門は,バイオセンサ,ナノバイオデバイス,細胞チップなど.