特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 ウイルスタンパク質の動力学と創薬〜スーパーコンピューターによる分子動力学シミュレーション アブストラクト 沖本 憲明,小松 輝久,泰地 真久人 理化学研究所

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の治療薬の開発が世界各国で精力的に進められています.創薬の基本的な考え方は,新型コロナウイルス(SARS-CoV-2ウイルス)の活動を阻害すること.細胞への侵入,細胞内での増殖,細胞外への遊離のどこかを抑えられれば,体内でウイルスが増えることはなく,重症化を防げます.

抗ウイルス薬の開発では,ウイルスが持つタンパク質などの立体構造を解明し,その構造にぴったりとはまる薬分子を検索・設計していく「構造ベース創薬」が最近のトレンドになっています.

理化学研究所が開発したのが,ウイルスのタンパク質と,候補となる薬分子との結合を,原子レベルの細かさでシミュレーションする専用コンピュータ「MDGRAPE-4A」です(図).こうした分子動力学(Molecular Dynamics)は計算量が多いため,一般的なコンピュータはもちろん,高性能なスーパーコンピュータでも計算に莫大な時間を必要とします.

MDGRAPE-4Aでは,独自に開発したプロセッサを512個並列に搭載するなどの工夫によって,システム全体で1.3PFLOPS(ペタ・フロップス:1秒間に1,300兆回の浮動小数点演算を実行)というきわめて高い性能を実現しています.

図 分子動力学シミュレーションを高速化するために開発された「MDGRAPE-4A」.
左の4列のラックが演算ユニット,右の2列のラックは記憶装置.

延べ10万個の原子で構成される,水分子,メイン・プロテアーゼ(Mpro)などのウイルスタンパク質,および薬分子を対象にした場合,24時間の実行で,従来の数倍に相当するおよそ1µsの実時間に相当する結合作用をシミュレーションできるようになりました.

すでにシミュレーションによって,新型コロナウイルスのタンパク質のひとつであるメイン・プロテアーゼは構造が揺らぐ性質があることや,近づいてきた薬剤によっても構造が変化することが分かってきました.こうした情報は,既存薬や新規開発薬の適合を探索するうえで有益です.

今後理化学研究所ではプロセッサ半導体を高速化するなどしてMDGRAPE-4Aの性能をさらに高めていく計画です.半導体技術やコンピュータ技術は新型コロナウイルス感染症とは無縁に思われがちですが,実は感染症の克服に重要な役割を果たしているのです.

(要約作成・関 行宏=テクニカル・ライター)
注:本稿は2020年7月上旬時点の情報に基づいています