特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 新型コロナウイルスとの戦い 村上 裕彦 株式会社アルバック 未来技術研究所

1. 免疫

ヒトはもともと,体の中に入ってきた異物を排除する力(免疫)をもっています.一般的な風邪のウイルスなどは,自分の体の免疫の力で治すことが多いのですが,その働きを簡単に説明しておきます(図1-1).ウイルスが体に入ってくると,マクロファージと呼ばれる免疫細胞が駆けつけ,ウイルスを食べるように破壊します.このマクロファージは,自然に備わっていることから,自然免疫と呼ばれます.次に,マクロファージは小さくなった病原体の成分に目印(抗原)を付け,この目印を攻撃するように,ほかの免疫細胞に知らせます.その知らせを受け取るのが,ヘルパーT細胞と呼ばれ,いわゆる司令塔になります.この病原体の活動を抑えこむ抗体を作るように,抗体作りの職人(B細胞)に司令を出します.B細胞により作られた抗体は,病原体を抑えこむように攻撃していきます.

図1-1 免疫のメカニズム

一度作られた抗体の記憶は細胞の中に残り,同じ病原体が入ってきたときには,すぐに闘うことができるように備えるため,獲得免疫とか適応免疫と呼ばれます.ただ,病原体によっては,体が回復したあとに抗体が消えてしまうものもあります.従来の4種類のヒトコロナウイルスは毎年広く流行しますが,一般的な風邪の症状を引き起こすだけなので,あまり注目されなかっただけです.新型コロナウイルスも同じような傾向があると指摘されています.そうなると,一度感染すれば免疫が生涯持続することが見込まれる麻疹(はしか)や水痘などの感染症とまったく異なり,新型コロナウイルス感染症が季節性になり,世界人口の免疫の高まりと低下というサイクルに合わせて,1年か2年おきに冬になると復活する米国ハーバード大学モデルがScience誌に報告されています1)

免疫について,本当に知りたいのは3つの未解決問題になります.
 ①新型コロナウイルスは一度感染すれば終わりなのか?
 ②もしそうでない場合,どのくらいの頻度で感染が繰り返されることになるのか?
 ③感染を繰り返すごとに症状は軽くなるのか,同じなのか,それとも悪化するのか?
アウトブレイクから5カ月程度しかたっていない現在,それを知る方法はありません.

2. 抗ウイルス薬

体内の免疫では対処しきれないウイルス感染症の場合は,抗ウイルス薬を使います.日本製のアビガンの場合2),ウイルスの複製を助けるポリメラーゼと呼ばれる酵素の力を阻害する可能性があり,ウイルスの複製を抑えると期待されています(図1-2).ウイルスの種類は,わかっているだけでも万単位に及びますが,その中で特化した治療薬があるウイルスは,わずか数十といわれています.その大きな理由は,ウイルスは人の細胞の中に入り込んでいるので,薬でウイルスを攻撃しようとすると人の細胞まで破壊してしまいます.つまり,非常に強い副作用が出ることになり,この予期できない副作用が開発を困難にしています.まだ特効薬が存在しないウイルスの1つが,コロナウイルスです.新型コロナウイルスについては,既存の治療薬の活用が検討されていますが,最も評価され期待されている抗ウイルス薬は,レムデシビルとクロロキンで,日本製のアビガンの評価は,そこまで話題になっていません.このことは決して根拠のないことではなく,培養細胞に新型コロナウイルスを感染させた基礎実験において,抗ウイルス効果の1つの指標であるEC50(これは低いほど有効性が高いことを意味します)が,レムデシビルが0.77µM,クロロキンが1.13µMであったのに対して,アビガンは61.88µMであったことに起因しています3).ただし,これは基礎実験で,ヒトの臨床的効果はこれとは異なるという可能性も十分あります.

現状の結論は,有望視されているレムデシビルは,臨床的改善までの時間が短くなるようですが,死亡率には有意差があるほどではなく,もしレムデシビルが使えるようになっても楽観はできないと思えます4〜6).今までの抗ウイルス薬は,レムデシビルもアビガンも,新型コロナウイルスに対して開発されたわけではなく,今後一番重要なのは,ウイルスのさまざまな活性に最も適した薬剤開発を進めることにあります.そのため,2つの開発方法が試みられ,今までになかったスピードで薬剤候補が増えています.1つは,新型コロナウイルスゲノムがコードする全タンパク質と相互作用する人間の分子を網羅的に調べたプラットフォームを作成し,現在治療に使用されている薬剤を含め,さまざまな治療薬の可能性が検討されています7).また,もう1つは,クライオ電子顕微鏡を利用した新型コロナウイルスのスパイクタンパクの構造解析が行われ,スクリーニングを飛ばしてさらに高い活性をもつ薬剤開発の検討が可能になっています8).今回,国際協調さえしっかりしておけば,ウイルス特定についてはかなり迅速に対応できることがわかり,新型コロナウイルスの第2波,第3波に対し,効果のある薬剤候補は比較的早期に決めることが可能になるかもしれません.

図1-2 アビガンの効能

【付録:モノクローナル抗体(抗体のクローン)の可能性】

まだ,モノクローナル抗体を用いた治療薬が利用できる段階ではありませんが,すでに新型コロナウイルス肺炎の重症者に,回復患者さんの血清が高い効果を示すことが明らかになっています.観察研究ではありますが,3編の論文で20人の重症者のうち19人が退院しています9〜11).血清療法を最初に開発したのは我が国の北里柴三郎先生で,当然推進すべき治療法だと思いますが,その母国では実現に壁があるかもしれません.

文献

著者プロフィール

村上 裕彦

(むらかみ ひろひこ)

株式会社アルバック未来技術研究所所長,大阪大学招へい教授.
1986年大阪大学大学院工学研究科原子力工学専攻博士前期課程修了の後,日本原子力研究所入社.1989年,(株)アルバック入社,(財)超電導工学研究所,アトムテクノロジー研究体への出向を経て,1996年,筑波超材料研究所室長.その後,部長,所長を経て,2015年未来技術研究所所長,現在に至る.博士(工学)(1992年,東北大学).