第24回光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞) 受賞者

受賞者
藤田 和上 氏(浜松ホトニクス)
業績
量子カスケードレーザーの実用化研究と室温テラヘルツ光源への展開

藤田和上氏は量子井戸構造内のサブバンド間遷移を用いた半導体レーザーである量子カスケードレーザー(QCL)の開発研究において,半導体量子井戸・超格子構造の波動関数の精密設計による電子伝導・光学遷移状態の工学的な制御に着目し,従来,全く検討されることのなかったレーザー上位準位の量子構造を制御した独創的な活性層構造,結合二重上位準位構造を考案した.作製された素子は際立った発光波長の広帯域性を有し,温度変化に対して極めて高い安定性のある世界最高性能のQCLの実現に成功し,製品化を果たした.現在,藤田氏らが開発したQCLは,ガスセンシングやライフサイエンス分野における計測への幅広い応用に用いられており,浜松ホトニクス社は世界有数の QCL 製造企業となっている.また,QCL 内サブバンド間遷移の極めて高い2次の非線形感受率 χ(2)を利用した室温動作テラヘルツ(THz)光源において,量子準位の共鳴状態と波動関数の精密制御により差周波混合の χ(2)を飛躍的に向上させることができることを見出した.その結果,THz-QCL 光源の大幅な高性能化とともに動作周波数帯域の拡大を達成し,軸モード間隔が均一な超広帯域マルチモード動作の発見などの新機能の付加にも成功した.さらに,長年の QCL の低周波数動作の限界を解決したサブテラヘルツ帯域での動作に成功して,室温で動作するサブ THz 帯半導体レーザーを実現した.

(1)A. Single Phonon resonance-to-Continuum(SPC)-QCL 及び Indirect Pump (IDP) QCL の研究
藤田氏は 2006 年に, レーザー発振に必要な下位準位より低エネルギー側に波動関数が空間的に拡がっているミニバンドを配置するSPC 構造を考案し,高効率な発光下位準位からの電子を引き抜くと同時に,結晶成長時の膜厚揺らぎに対して頑強になる現象を見出した.SPC構造は浜松ホトニクス社のQCL製品に広く適用されている.また,2008 年には間接注入励起(Indirect Pumping: IDP)法では,レーザー動作のための上位準位(E3) の高エネルギー側にもう一本の準位(E4)を設け,4 準位系とすることにより,電子はほぼ 100%がレーザー発振に寄与する(50 %制限の打破)ことを実証した.これらの新構造は,当時,QCL の発明者である Federico Capasso をして「QCL の活性層構造には,もはや革新的なことは残っていない」と言わしめていた状況を打破するにたる画期的な技術革新を生み出した.特に IDP 構造は,上位準位側を意識的に設計する初の試みであり,それによる「50 %制限 の打破」は,国内外の THz-QCL の研究グループに強いインパクトを与えた.

(2)Anti-crossed-Dual-Upper sates (DAU)-QCL の研究
QCL では 2008 年頃から広帯域波長可変光源を目指した研究が盛んになり,多くのグループから複数の活性層をスタックすることによる波長帯域の拡大に関する成果が報告されてきた.この場合,各発光波長に対しての利得が低くなり連続動作は困難だった.そこで藤田氏はこの状況を打破するため,IDP の 4 準位系を拡張し,2本の上位準位より発光に寄与可能な結合二重上位準位(Anti-crossed Dual-Upper-State:DAU)という概念を着想した.これは 4 準位構造の最上位準位も利得に関与出来るように,動作状態で2本の上位準位の波動関数が反交差するように設計し,利得の広帯域化を狙ったものである.その概念に基づいた波動関数の精緻な設計を基にしてデバイスが試作され,利得の大幅な広帯域化(Δλ/λ=40 %)が確認された.特に6 μm帯DAU-QCLでは広帯域利得と同時に同波長帯のQCLで最も高い特性も達成され,この素子を外部共振器に導入することにより,連続動作で世界最大の波長可変範囲を実証した.また,DAU構造の場合も,E4 とE3における等しい電子分布のため,「50 %制限の打破」が可能である.加えて,DAU構造では,温度変化,電圧変化があっても利得スペクトルの安定性が高いことが特長である.これにより,DAU 構造は広帯域(世界最大の波長可変範囲)かつ,ほとんど温度依存性のない(T0 =750 K (連続動作),T0 =1085 K(パルス動作))QCLを実現した.

(3)室温 THz-光源への展開
藤田氏は 2013 年以降,QCL 共振器内の差周波発生(DFG)を用いた THz 光源の研究に着手を開始した.具体的には,DAU 構造を適用して差周波混合させた場合,それぞれの各量子準位が安定的に非線形プロセスの共鳴状態をとることが可能であることを見出し,波動関数を精密制御することによって差周波混合における χ(2)を高め得ることを示した. 藤田氏は実際にデバイスを試作し,従来構造に対して中赤外-THz 変換効率が 5 倍以上向上することを実証した. 特に周波数 3THz 付近の素子では高いデバイス性能を示しており,室温連続動作も達成した.また,藤田氏はシングルモードとマルチモードのポンプ光の間で DFG により THz 発生させた場合,1オクターブ以上の極めて広帯域なマルチモード動作とすることが可能であり,それらの軸モード間隔が均一なTHz周波数コムとなることを初めて実験的に明らかにした.さらに,実現した素子を用いた応用展開にも着手し,初の THz イメージングにも成功した. 最近の研究では,低いTHz 周波数領域では「2 次の非線形感受率 χ(2)は 2 準位間の巨大双極子モーメントによるコヒーレント光整流成分によって支配される」ことを見出した.その結果,1THz 帯では直接発振 THz-QCL(極低温動作)を凌駕する高出力 QCL 素子の作製に成功し,世界で初めて sub-THz 帯で動作する室温モノリシック半導体レーザー光源を実現した. これは 10 年以上更新されなかった QCL の低周波数側の限界を打破する画期的な成果である.藤田氏の超格子構造内の波動関数の精密設計による QCL の特性向上の研究は,室温動作 THz-QCL 光源の大幅な特性向上と新機能の発現をもたらした.直接発振のTHz-QCL では反転分布の形成が本質的に困難だが, DFG の場合,THzの遷移に対して反転分布形成が不要なため,さらなる高性能化が期待できる.実際,藤田氏は直接発振 THz-QCLでは困難だった周波数1THz 以下の sub-THz領域から数THzに亘る THzギャップの最深部を横断する初の周波数可変 QCL光源にも成功しており,今後,THz帯大容量通信や THz分光分析分野にパラダイム・シフトをもたらすと期待されている.

以上示したように,藤田氏の研究は半導体量子井戸,超格子構造の波動関数の精密設計から電子伝導,光学遷移過程の制御に着目し,独創的な活性層構造を発案,広帯域性,温度安定性に優れた世界最高性能を実現したのみならず,量子状態の共鳴状態の制御から差周波混合を利用した室温動作テラヘルツ光源を開発し,長年の懸案であった低周波数動作の限界,テラヘルツギャップを克服するなど画期的な成果を上げている.
よって,光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)に相応しいと判断した.

2022年度 光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)表彰委員会

委員長
植田憲一
委員
大和壮一,加藤義章,五神真,清水富士夫,武田光夫,中沢正隆,野田 進,山西正道