化学産業が紡ぐ30年後の未来社会とイノベーション戦略 “Green Sustainable Economy”の実現に向けて 坂下 幸雄 公益社団法人新化学技術推進協会 戦略提言部会事務局 特別WEBコラム GX : グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理
公益社団法人新化学技術推進協会(JACI)は,化学産業,ユーザー産業,アカデミアや国の主だった研究機関を構成会員として,化学技術イノベーションに関する様々な公共性の高い事業を推進することを目的として活動している公益法人です.昨今,資源・エネルギー,地球環境,水・食糧など多くの地球的課題が懸念材料として顕在化しつつあります.これらの課題を解決するためには科学技術イノベーションが欠かせませんが,その中核的役割として化学技術の貢献が強く期待されています.特に課題先進国といわれ多くの解決すべき課題を抱えるわが国は,世界最高の国際競争力を持った科学技術イノベーション立国を目指し,新時代のイノベーションを先取りしていく必要があります.これらの期待に応えるため,当協会は化学に携わるすべての関係者が垣根を越え,連携して活動するプラットホームを構築し,グリーン・サステイナブルケミストリー (GSC: 人と環境にやさしく,持続可能な社会を支える化学)を基盤とした化学技術イノベーションを推進し,化学産業の国際競争力の強化と日本ならびに世界の持続的発展のために積極的な活動を展開しています.本Webコラムのテーマであるグリーントランスフォーメーション(GX)と,共通する内容も少なくありません.具体的には,化学技術戦略の立案と提言,化学技術に関する交流と連携を推進し国内外へ情報を発信,GSCの普及活動や若手研究者への研究支援,人材育成などの提案と事業推進などの活動行っています.
ここでは,化学技術戦略の立案と提言におけるJACIの活動内容をご紹介いたします.
JACI戦略提言部会は,JACIの基本方針に則り,化学産業を取り巻く課題を整理し,化学産業の果たすべき貢献とそのために取るべき戦略について議論を行い,それらを戦略提言書「化学産業が紡ぐ30年後の未来社会とイノベーション戦略—“Green Sustainable Economy”の実現に向けて—」として継続的に発信しています.戦略提言部会が発行する戦略提言書は,基本戦略編,分野別戦略編および個別戦略編の3階層より構成されています (図1).

2016~2017年度には,以降の活動のグランドデザインとなる基本戦略をまとめ,2018年6月に発行しました.GSC を基盤とした化学技術イノベーションの推進を担うJACIの提言として,30年後を見据えた未来の変化に備えるためにシナリオプランニングを活用して,GSCを基軸に議論を展開しました.(1) 資源・環境・エネルギー,(2) 水・食糧・農業,(3) 移動体,(4) ヘルスケア,(5) 電子・情報の5つの分野および分野に共通する将来像と化学産業がなすべき貢献を議論し,GSCの「東京宣言2015」に謳われたGSC 3軸 (①地球環境との共生,②社会的要請の充足,③経済合理性) の同時達成 (図2) に向けて,化学産業がとるべき戦略をまとめました.

化学産業が目指す方向性を,既存の各種未来予測等の情報から,「顕在化している30年後の未来社会」を示す「全体俯瞰の標準シナリオ」を作成し,GSCの「東京宣言2015」に謳われたGSC3軸に分類しました.
①地球環境との共生
この軸に分類されるのは主に気候変動,エネルギーおよび資源に関連するシナリオです.カーボンニュートラル関わるグリーントランスフォーメーション(GX)にも大きく関連します.
②社会的要請の充足
この軸に分類されるのは人のwell-being(健康,快適,幸福など)に関わる多様な分野(食糧,医療,移動体,都市,労働力,AI・ロボットなど)に関するシナリオです.
③経済合理性
この軸に分類されるのは社会システムの変化や経済の動向に関するシナリオです.
その結果,これらの標準シナリオが示す30年後の社会では進退のイメージが混在しており,GSC3軸を同時に達成することは困難と考えました.本提言では,化学産業の貢献による望ましいシナリオを作成し複数の分野の成果を結集した結果として,GCS3軸の同時達成を目指すこととしました.そして,望ましいシナリオに登場しかつ化学産業の貢献が期待できる分野として,資源・環境・エネルギー分野,水・食料・農業分野,移動体分野,ヘルスケア分野,電子・情報分野の5分野に絞り議論を進めました.
化学産業の貢献による望ましいシナリオを検討する中で,化学産業全体の取り組みにおける注視すべき潮流が見えてきました.1つ目は,「脱炭素社会へのシフト加速およびSDGsへの取組」であり,その後のカーボンニュートラル宣言も踏まえ更に加速しています.2つ目は,「分散化/多様化への対応と積極的な利活用」であり,例えばインフラの効率化とセキュリティ向上を目的としたコンパクトシティやシェアリングエコノミーの進展が見られ,これらを後押しする産業の動きとして,あらゆる物が独立してネットワークに接続するIoT,中央集権的な仕組みを必要としないブロックチェーンによるデータ管理,高速での処理を可能にするためのエッジコンピューティングなどが進展しています.また化学産業においても,エネルギーや原料の輸送にかかるエネルギー効率の視点から,資源の発生源から加工・消費の現場の距離は極力小さくするよう積極的に小型・分散化/多様化を選択する時代が来ると考えられます.これらは,自律分散社会とも大きく関連しています.3つ目は,「デジタル化の進展への対応」であり,ビッグデータを用いたAI/IoTの発達は産業に大きな変化をもたらしており,また材料設計の分野ではマテリアルズインフォマティクスへの応用が進展しています.
基本戦略編 において,化学産業は30年後,「地球環境との共生をリードし,QOL(生活の質)の向上に持続的に貢献し社会的充足と経済合理性の具現化を下支えする産業」となるため,化学産業自ら,その製造プロセスやビジネスモデルを変革していく必要があると提言しました.デジタル化の流れを取り込んでAI・データ等の活用を進め,GSC 3軸同時達成のための化学産業が取るべき戦略として3つの戦略を示しました (図3).
- 戦略1:地球環境との共生を進展するシステムの確立
- 戦略2:精神的に豊かな健康長寿社会の実現
- 戦略3:新しい社会システム構築の為の合理的ビジネスへの貢献
本提言では,日本の強みである化学技術,材料技術をベースに複数の分野に貢献可能な化学産業ならではの視点を取り入れており,JACI としての特徴のある提言内容と考えています.化学産業は,競争力の源泉である化学技術,材料技術を更に先鋭化・骨太化していく必要があります.

2018年度以降は,基本戦略編の5分野の中から順次1分野を取り上げ,分野別戦略編を作成しています.2018年度は,資源・環境・エネルギー分野を取り上げ,戦略提言書「同(エネルギー・資源編)」を作成しました.エネルギー分野では化学プロセスによる脱炭素化技術および植物を用いた低炭素化技術を,資源分野ではプラスチックのリサイクル技術を深掘りし戦略にまとめました.
2019年度は,水・食糧・農業分野を取り上げ,戦略提言書「同(水・食糧・農業編)」をまとめました.水および食糧の安定供給,地球環境の保持および経済合理性の同時達成のための戦略をまとめました.
2020年度は,COVID-19の世界的大流行,環境問題の重要度増大,デジタル技術・社会の進展など昨今の状況を踏まえ,電子・情報分野にてデジタルと化学産業の関りを俯瞰し,戦略をまとめました(図4).化学産業の2050年のあるべき姿として「化学産業自らをデジタル変革し,ケミカルイノベーションでデジタル社会を推進することにより,地球環境との共生をリードし,社会的要請の充足と経済合理性の具現化を下支えし ,well-beingの実現に貢献する.」としました.そのため化学産業は,デジタル技術を積極的に取り込み,強靭で柔軟なものづくりを進めます.素材提供ビジネスにとどまらず企業・業界を越えたデジタル連携を行うこと,川下産業および静脈産業との垂直連携,川下域へのビジネス領域の拡大,モノからコトへのビジネスモデル変革を通じ,新たな循環システムの構築に貢献します.化学産業自らが変わることで,未来社会をあるべき姿へ変えることができると考えます.

また,基本戦略や分野別戦略の議論に基づき,早急に国家プロジェクトなどの技術開発を行うべきテーマに関しては,個別の戦略策定ワーキンググループにて戦略をまとめており,これまでに3 件の個別戦略編を発行しています.
これら提言書の戦略を実行することは,GSCの「東京宣言2015」と共通の理念を有する「SDGs」の達成への貢献にもつながることを念頭において,日本の化学産業に関わる企業・団体にとっての戦略策定,産学官連携および業界の枠を超えた連携の参考になれば幸いです.また,本提言の戦略を基に,国家戦略への反映および国家プロジェクトの提案につながることを期待しています.
以上のようにJACI戦略提言部会は,グリーントランスフォーメーション(GX)とも関連性の高いGSCを基軸に定期的に戦略提言書を発行しています.会員企業や化学産業以外にも広くご活用いただくため,どなたでもJACIホームページより電子ファイルを入手することできますので,ご関心のある方はお申し込みいただけると幸いです.応用物理学会関係の皆さまとの業界の枠を超えた連携も期待しています.
公益社団法人新化学技術推進協会では,化学技術戦略の立案と提言のほかにも,産学官交流連携活動の一環として化学産業界が必要とする技術課題を設定し,その実現に貢献しうる新たな化学技術に関する研究の奨励を目的として,新化学技術研究奨励賞を毎年公募しています.グリーントランスフォーメーションに係る技術課題も奨励対象になっています.若い研究者の方々の挑戦をお待ちしています.