カーボンプライシング カーボンニュートラルの選択肢 総論 有村 俊秀 早稲田大学政治経済学術院教授/早稲田大学環境経済経営研究所所長 特別WEBコラム GX : グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理

はじめに

日本政府の2050年カーボンニュートラル宣言を機に,達成のための政策手段として,カーボンプライシング(炭素価格)に関心が集まっています.しかし,カーボンプライシングの考え方はここ数年で作られたものではありません.本稿では,カーボンプライシングの考え方・仕組み・導入における論点を,経済学的な視点から紹介します.

カーボンプライシングとその方法

カーボンプライシングとは,二酸化炭素を中心とした温室効果ガスに価格を付け,排出削減を目指す政策手法です.経済学では,環境問題が発生する理由を自然環境が市場の外にあることに求めます.企業や消費者は価格のない自然環境をタダと考え,過剰に使用してしまいます.そこで,自然環境を悪化させる原因に価格を付け,市場の外にある気候変動の問題を市場の内部に取り入れ,問題を解決しようと経済学では考えます.

カーボンプライシングの方法としては,二酸化炭素に値段を付けて徴収する炭素税・環境税と,二酸化炭素の排出枠の市場を作り出す排出量取引の2つがあります.

炭素税では,石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料中の炭素含有分に応じて課税します.日本の場合は化石燃料をほとんど輸入しているため,輸入段階・精製段階で課税される上流方式が容易です.現行の地球温暖化対策税(二酸化炭素1トンあたり289円)も上流方式で課税されています.

排出量取引では,二酸化炭素の排出できる総量を政府が決定し,その排出枠を事業者に配分します.削減に成功すれば余った排出枠を売却し,排出枠が不足すれば不足分を購入します.削減義務の履行に市場メカニズムを組み込み, 柔軟性をもたせることで排出枠の市場取引に価格が付き,カーボンプライシングが形成されます.

期待される効果

カーボンプライシングに期待される効果は何でしょうか.大きく分けると,次の3つの効果が期待されます.
第1に,二酸化炭素に価格を付けることで,排出抑制・省エネ・脱炭素技術の導入が促進されます.カーボンプライシングによって電気代や燃料代が上昇するため,エネルギー消費を減らすインセンティブが発生します.他にも,化石燃料の低炭素化や再生可能エネルギーの導入へのインセンティブも期待できます.さらに,ガソリン代の上昇で,自動車から鉄道・バスなどの公共交通手段への転換や,貨物輸送におけるトラックから鉄道への転換といった輸送手段の代替が期待できるかもしれません.カーボンプライシングが導入されれば,脱炭素に資する技術も普及時期が早まったり,その後の普及が加速されたりすることが期待されます.

第2に,社会全体で見たときに排出抑制をより低い費用で達成できます.第1で示した排出抑制・省エネには多大な費用が掛かることが予想されます.しかし,カーボンプライシングでは価格シグナルを利用することで,社会全体で効率よく排出削減が可能です [1].

第3に,長期的なイノベーションも期待されます.震災後,電力価格が上昇する中,LEDの価格が低下したことは記憶に新しいでしょう.欧州では排出量取引導入によって再生可能エネルギーのイノベーションが促進されたという研究が報告されています.カーボンプライシングによって、カーボンリサイクリングに関する新しい技術や,電気自動車・燃料電池車などに関するイノベーションも期待されます.

導入における論点

カーボンプライシングには上述した効果が期待される一方,さまざまな論点も存在します.ここでは以下の5つを見てみましょう.

(1) 効果のエビデンス

経済学ではエビデンスに基づく政策提言(Evidence Based Policy Making)という考え方が支持されています.実施された政策の事後評価を計量経済学の手法を用いて行い,政策の効果を確認したうえで,より効果のある政策を広めようとする考え方です.

欧州や北米では, 計量経済学の手法を用いたカーボンプライシングの効果を証明する学術的な成果が蓄積されています [2] .また,日本でも東京都および埼玉県の排出量取引制度の効果が実証されており [3] , カーボンプライシングの有効性が示唆されています.

(2) カーボンリーケージと国境炭素調整

カーボンプライシングの効果を示す成果が蓄積される一方,企業の国際競争力への影響や規制導入に伴うカーボンリーケージが各国で懸念されています.例えば,日本のみがカーボンプライシングを導入した場合,ライバルとなる新興国が日本と同レベルの排出規制を実施しなければ,日本企業の競争力が弱くなってしまいます.また,規制を導入しても,規制のない他国へ工場が移転し,かえって排出量が増えてしまうカーボンリーケージも考えられます.

これらの懸念に対しては,さまざまな対策・提案がされています.例えば,規制のない国から日本に製品を輸入する際には,輸入品に炭素税を課すことで競争条件を公平にしようとする国境調整措置という考え方が挙げられます.また,排出量取引制度では,影響を受ける業種に対して排出枠を多く無償配分するという考え方もあります.

また,2021年7月にはEUにて域内への輸入品に排出枠の購入を義務付ける国境炭素調整が提案されました [4]. EUと貿易を行う事業者に影響を及ぼす可能性があります.この提案では,商品価格から輸出国での炭素価格分を減免する制度もあり,各国の炭素価格導入へのインセンティブになっています.実際,インドネシアなどでの炭素価格導入の検討には,EUの提案が影響していると言われています.なお,国境炭素調整措置に対しては,制限的な貿易を禁じるWTOとの整合性の問題も取り上げられています [5].

(3) 現行制度による実効炭素価格

現行の石油石炭税などの燃料税は炭素に対する課税ともみられ,これらを含めた炭素に関する課税は実効炭素価格として考えられています.実効炭素価格の視点からは,燃料間の二酸化炭素トンあたりの課税額のばらつきが大きいのが課題です(図1).石炭のエネルギーあたりの炭素含有量が天然ガスに比べて2倍近いにもかかわらず,石炭への課税額は天然ガスよりも少ないのです.炭素価格を適切に追加し,二酸化炭素トンあたり課税額を均等化すれば,より低い費用で効率よく二酸化炭素を削減できます.つまり,新たに導入される炭素税は,現行税制の欠点を補完した税制であるべきでしょう.

図1: 燃料税の燃料種ごとの違い(二酸化炭素トンあたり).
(出典:環境省審議会カーボンプライシング小委員会資料より筆者作成)

(4) 炭素税収の使用法

地球温暖化対策税や従来の石油石炭税による政府収入は,これまで省エネや再エネなどのエネルギー関連に使われてきました.しかし,脱炭素を目指すのであれば,新たな炭素税の収入を新しい技術の普及に使うべきでしょう.例えば,電気自動車や燃料電池車の価格を下げるための補助金として使うことが考えられます.さらには,充電ステーションや水素ステーションの普及に税収を用いることも考えられます.低税率でもより多くの排出削減が期待できるこのような政策は,ポリシーミックスとして知られています.

一方で,まだ実現まで道のりのある技術の研究開発を補助するという考え方もあるでしょう.例えば,水素還元による鉄鋼生産やCCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage)など,現時点では投資としてリスクの高い脱炭素技術の研究開発の補助に使うという考え方があります.

(5) クレジット市場

炭素税や排出量取引の導入以外ではクレジット市場にも注視するべきでしょう.これは,規制を受けていない事業者が自ら排出削減し,減った部分を排出枠として取り上げる制度です.例えば,航空会社には国際的な排出量取引制度(CORSIA)が導入されることになっています.その目的達成のために,排出削減クレジットを利用することが予想されます.また,カーボンニュートラルLNGもクレジットによって脱炭素を行うもので,クレジットの需要が発生します.しかし,国内に十分な供給量があるかは不明です.クレジットの品質に留意しながら,需要を満たす国内市場の整備を進める必要があるでしょう.

おわりに

脱炭素のための政策手段としてカーボンプライシングの重要性は非常に高いです.国内の制度導入でも,EUの国境炭素調整でも,国際貿易にどのような影響があるのか注視していく必要があります.カーボンプライシングの政策動向に注目してください.

著者プロフィール

有村 俊秀

(ありむら としひで)

早稲田大学政治経済学術院教授,同環境経済経営研究所所長.経済産業研究所ファカルティフェロー.東京大学教養学部卒業.筑波大学環境科学研究科修士課程修了.ミネソタ大学Ph.D.(経済学).気候変動,省エネルギー,大気汚染問題などを定量的に分析.上智大学経済学部教授,および,同環境と貿易研究センター長を経て現職.その間,内閣府経済社会総合研究所客員研究員,米国未来資源研究所(ワシントンDC)およびジョージメイソン大学客員研究員(安倍フェロー),環境省中央環境審議会委員,東京都環境審議会委員,経済産業省検討会委員,文部科学省学術調査官,環境経済・政策学会理事,環境科学会理事などを歴任.これまで Journal of the Association of Environmental and Resource Economists や Journal of Environmental Economics and Management に論文を公刊.共著書に『入門環境経済学』(中央公論新社),共編著書に『環境経済学のフロンティア』(日本評論社),Carbon Pricing in Japan (Springer) など.Review of Environmental Economics and Policy などの国際学術雑誌の編集委員も務める.2018年度環境経済・政策学会学術賞,2020年度環境科学会学術賞,2021年環境経済・政策学会

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