レーザーレーダー(ライダー)による大気環境計測 ライダーネットワークによる東アジア域エアロゾルの動態把握 総論 清水 厚 国立環境研究所 特別WEBコラム GX : グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理

はじめに

大気中に浮遊する微小な粒子(エアロゾル)がにわかに脚光を浴びるようになったのは2013年冬のことでした.中国・北京の米国大使館において約900 µg/m3というそれまでにない高濃度のPM2.5が観測され,日本への影響などが心配されるようになりました.実際には日本国内でこの時期に前年よりも大気汚染がひどかったことは確認されていませんが [1],2009年に環境基準が設定されたPM2.5という言葉が広く認識されたきっかけになったことは間違いありません.これ以降,国境を超えて輸送される越境大気汚染にも注目が集まりましたが,中国では大気汚染防止の施策が急速に進んだため2021年の時点では越境汚染も相当低レベルとなりつつあります [2].さらに,今後グリーントランスフォーメーションの進展に伴い化石燃料の利用が減少すれば,燃焼起源のさまざまなエアロゾルも減少していくことが予想されます.このような大気汚染を監視する手法の一つとしてライダー(lidar: light detection and ranging)が国内外で活用されています.最近では自動車に搭載される障害物センサーとして急速に普及したライダーですが,大気計測については50年以上の歴史があります.ライダーは別名をレーザーレーダー(laser radar)というようにレーダーにおける電波の役割をレーザー光に置き換えたものであり,遠方のターゲットに関する情報を光センシング技術により距離分解しながら把握する手法です.大気を対象とするライダーだけでもさまざまな種類のものが存在し,気象計測に関するものでは風速/気温や水蒸気が,環境計測ではCO2/オゾンなど微量気体やエアロゾルがターゲットとなります.これらについては杉本による解説 [3] などを参照していただくとして,ここでは東アジア域対流圏のエアロゾルを監視するライダーネットワークAD-Net(Asian Dust and Aerosol Observation Lidar Network)について紹介します.

図1:国立環境研究所(茨城県つくば市)における夜間のライダー観測風景.

ライダーによるエアロゾル観測

エアロゾル観測としては地上の濃度を毎時間計測する環境省/地方自治体による「そらまめくん」[4] に含まれるPM2.5やSPM計測,人工衛星に搭載された光学イメージャによる光学的厚さの計測などがありますが,エアロゾルの鉛直分布を連続的に把握できるものはライダーのみです.AD-Netではフラッシュランプ励起Nd:YAGレーザーを用いて可視(532 nm)/赤外(1,064 nm)のパルスを10Hzで上空に射出し,大気中の粒子(エアロゾルや雲粒)・分子によって後方に散乱された光を望遠鏡で集光し25MHzでサンプリングすることで高度分解能6 m(光が往復するため)の計測を行っています.光の強度は光電子増倍管やアバランシェフォトダイオードで検出され,その鉛直プロファイルからエアロゾル後方散乱係数(または消散係数)の鉛直分布を推定します.これらの量は粒子の複素屈折率や粒経分布に依存するものの,基本的にはエアロゾル濃度を表します.更に後方散乱光の偏光特性から粒子の形状に関する情報も得られます.これによって,エアロゾルからの散乱信号を球形粒子(液滴=気体として放出され大気中で粒子として二次生成されたもの)からによるものと非球形粒子(最初から固体として発生源から放出されたもの)からによるものとに分離できます.ライダーがターゲットとする対流圏(高度10~15 km以下)に広く見られる非球形粒子は巻雲(氷雲)を除くと主として土壌由来粒子と考えられ,特に東アジア域ではこれを黄砂粒子とみなしてデータの活用が進んでいます.この他,火山からの噴出物には非球形の火山灰と二酸化硫黄から生成される硫黄酸化物(液滴)が混在します.AD-Netライダーは現在日本国内14地点・韓国内3地点・モンゴル内3地点に配備されており,天候によらず24時間連続自動観測を行っています.すべての観測データは国立環境研究所に毎時転送された後に自動解析で消散係数を非球形粒子由来の値(黄砂消散係数)と球形粒子由来の値(球形粒子消散係数)とに分離し,雲底高度の情報なども付加した上でウェブサイト上で画像と数値データとして公開しています [5].

図2:ライダー観測結果の表示の一例.横軸が時間,縦軸が高度で色が濃度などを表す.2021年3月の大阪における(上から順に)532 nm減衰後方散乱係数,532 nm偏光解消度,1,064 nm減衰後方散乱係数,532 nm黄砂消散係数,532 nm球形粒子消散係数.下2段の図で黒い部分は雲,灰色は解析不能領域を表す.AD-Netホームページ [5] より.

黄砂研究におけるライダー観測データの応用

前述のように,ライダーでは偏光の情報から上空で光散乱を起こした粒子の形状を推定することができます.球形のエアロゾルには硫酸塩や有機エアロゾルなど,化学的にはさまざまな特性を持つものが含まれますがライダーではそのような化学特性を推定することはできません.これに対して非球形のエアロゾルが東アジア域で広範囲に見られるのはほぼ黄砂に限られるため,黄砂の観測にはライダーが広く使われてきました.従来,黄砂の観測は国内では気象台における職員の目視により実施されてきたものの,気象観測の自動化に伴い黄砂観測地点数も減り,2019年から2020年に掛けて国内観測地点数は59から11まで減っています.これとは別に,黄砂はその他のエアロゾルよりも粒経が大きいことを利用して前述「そらまめくん」データを利用する研究も進んでいますが,黄砂の定量的な観測についてはライダーによるものが最も利用されています.例えば黄砂の健康影響を調べる目的では,ライダーによる黄砂消散係数を利用して黄砂飛来と胎盤早期剥離との関連が調べられた [6] ほか,さまざまな疫学研究でライダーによって推定された黄砂濃度が利用されてきました.また,21世紀に入ってから日本に飛来する黄砂の頻度が低下する傾向が見られていましたが,AD-Netのデータを利用した解析では日本上空の黄砂量が2007年から2016年の間に2.5%/年程度減少していたことも示されています [7].この減少傾向についてはゴビ砂漠などにおける黄砂発生量そのものの変化の他に,偏西風による輸送ルートが変化したことの影響なども考えられ,数値モデルを用いた解析などが続けられています.またライダーにより得られるエアロゾルの消散係数を重量濃度に換算することは一般的には難しいものの,日本国内の黄砂については複素屈折率や粒経分布の変動が大きくないため一定の誤差範囲で換算が可能です.環境省ではAD-Netにより得られた黄砂消散係数(地上付近の値)をリアルタイムで地図上に表示し「黄砂飛来情報」として一般市民向けに公開しています [8].この他,エアロゾルの発生や輸送を計算機で再現する化学輸送モデルの結果の検証やデータ同化といった手法にもライダーによって得られた黄砂消散係数が利用されています [9].

ライダー観測の将来像

これまで大気環境基準監視のような目的にはライダーは利用されていませんが,NASAによる人工衛星搭載ライダーが既に15年以上の運用実績を持つなど,大気観測装置としての信頼性や応用範囲の広さについては疑いの余地はありません.特にエアロゾル観測の観点からは,グリーントランスフォーメーションが進む中,人為的な燃焼由来のエアロゾルは減少していくと想定されるのに対し,自然由来のエアロゾル(黄砂や火山灰,森林火災由来の炭素など)は気候変動の影響を受けてこれまでと異なる動態を示すことも考えられます.このような状況下において,エアロゾル観測ライダーは今後高性能化と簡易化の両方向での発展が見込まれます.前述のように球形粒子の化学組成は現在のAD-Netライダーでは推定できませんが,多波長ラマン散乱ライダーや高スペクトル分解ライダーといった高機能のライダーではそのヒントとなるパラメータを取得することが可能です.これらの情報はエアロゾル発生源対策に不可欠である他,地球大気の熱収支を明らかにするためにも必要です.一方,空港で雲底高度計として使われてきた商業ベースのシーロメータ(簡易ライダー)からはエアロゾルの解析に利用できる出力も得られるようになりつつあり,例えば各地の空港での観測データを活用できればより稠密なエアロゾル監視が可能になることで強力な環境モニタリング手法となることが考えられます.今後のライダーネットワークはこれら両方向にウイングを広げつつ継続的に発展することを目指しています.

謝辞

AD-Netの展開/運営は杉本伸夫/西澤智明/神慶孝(以上,国立環境研究所)および松井一郎(株式会社mss)の各博士と共に行ったものです.AD-Netの運用は独立行政法人環境再生保全機構の環境研究総合推進費JPMEERF20205001による支援を受けています.

著者プロフィール

清水 厚

(しみず あつし)

1999年3月,京都大学大学院理学研究科にて博士(理学)取得,同年12月より環境庁(当時)国立環境研究所.地上ライダーネットワークの展開にあたり主に自動データ解析システムの開発に取り組むほか,船舶搭載・航空機搭載ライダーによるエアロゾル観測にも参加.2021年4月現在,国立研究開発法人国立環境研究所地域環境保全領域主幹研究員.

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