高感度環境分光計測の進展 持続可能社会の実現に向けた環境分光計測の役割 総論 戸野倉 賢一 東京大学大学院新領域創成科学研究科 特別WEBコラム GX : グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理
はじめに
分光計測は,化学物質の成分の特定や分子構造の解析などの分析技術として幅広い分野で用いられています.近年,この特徴を生かし,環境中の低濃度の化学物質等を高感度に測定する分光計測機器の開発が活発に行われています [1].分光光源であるランプ,LEDやレーザーの小型化や省電力化によって,従来の研究室等に設置するタイプの装置のほかに,携帯型や小型かつ軽量でフィールドに持ち運び,その場(“in situ”)観察ができる装置が開発されており,種々のフィールドでの環境モニタリングに利用されています.さらに,分光技術を利用した衛星や地上リモートセンシングによる温室効果ガスのモニタリング等の地球環境の監視 [2] や災害監視 [3] が行われています.
図1に環境分光計測と大気環境における空間スケール,時間スケールの関係を示します.この図で,フーリエ変換分光法(FTS)や光散乱法(LS)は,“in situ”での計測とリモートセンシングでの広領域での計測に用いられていることを示しており,非分散型赤外線吸収法(NDIR)やレーザー吸収分光法(LAS)は,主に“in situ”での計測に用いられていることを示しています.

温室効果ガスの観測
コロナ禍で公共の室内空間や飲食店内での二酸化炭素濃度の測定が行われています.多くの二酸化炭素測定器は,非分散型赤外線吸収法(NDIR)を原理とした物が採用されています.この方法では,ランプ光源から発せられた赤外光を測定対象ガスが入った光学セルに照射し,通過した光のうち特定波長の赤外線のみを測定することで測定対象ガスの濃度を測定します.手のひらサイズの小型・軽量なセンサーが商品化されており,室内の換気状況の管理に用いられています.
気象庁が運営する観測所における二酸化炭素濃度の常時観測は,高感度型のNDIRによって行われています [4].大気中の二酸化炭素濃度の常時観測は,リモートセンシングによっても行われています.日本の温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」では,地球から放射される赤外線のスペクトルをフーリエ変換分析法で測定し,二酸化炭素やメタンの濃度を計測しています.その計測結果は気象庁のホームページから閲覧できます [2].筆者らは,太陽からの直達光をエタロンにより分光し光路中の二酸化炭素のカラム濃度の計測することで,インドネシアの泥炭火災により発生した二酸化炭素量を推定しました [5].これらのように,リモートセンシングによる温室効果ガスの計測は,さまざまな分野で利用されています.
大気中の二酸化炭素の炭素安定同位体比(δ13C)は,発生源での生成機構を反映しているので,発生源の特定や大気中の物質収支,すなわち物質循環を知る上で大きな手がかりとなります.したがって,温室効果ガスである二酸化炭素のδ13Cを,さまざまな環境下で簡易に直接的に測定できれば,二酸化炭素の排出源を特定し,その削減策の策定に必要な情報を得ることができます.これまで,二酸化炭素のδ13Cの測定は同位体比質量分析計により調べられていましたが,近年,半導体レーザーを光源としたレーザー吸収分光法(LAS)を用いた安定同位体計測装置が開発されており [6],同位体比質量分析計と同程度の精度でδ13Cを求めることができる装置が市販されています [7, 8].
エアロゾルの計測
PM2.5に代表されるエアロゾルは,呼吸器の奥深くまで入り込みやすいなど,人体への健康に影響を及ぼします.別の側面として,太陽放射を散乱・吸収して地上に到達する日射量を減少させ,気温を低下させる冷却効果を示す特性がある一方で, 地球からの赤外放射を吸収・再放射する温室効果も示します.このようにエアロゾルの濃度の把握は,局所的な場からグローバルな領域で重要です.
室内用の空気清浄機には,PM2.5センサーが搭載されているのをご存知の方も多いと思います.空気清浄機用のPM2.5センサーのほとんどが,LEDやレーザーを光源とした光散乱法を採用しています.最近では,空気清浄機用のPM2.5センサーを利用した携帯型センサーが開発されており [9],個々人の行動履歴に基づくPM2.5の曝露量計測が可能になっています.大気中のエアロゾル濃度の計測においても温室効果ガスの計測と同様に,リモートセンシングが幅広く用いられています.地上に設置されたスカイラジオメータによる観測や気象衛星「ひまわり」などによって局所から高領域でのエアロゾルの観測がなされています [10].また,レーザーライダーを用いたエアロゾルの観測が日本各地で継続的に行われています [11].
大気微量物質の計測
近年の目覚ましい新規レーザーの開発に伴い,大気微量物質を高感度で測定できるレーザー吸収分光計測装置の開発が進んでいます.赤外光を発振可能な量子カスケードレーザーの誕生により,分子の基準振動に対応する強い吸収強度の赤外吸収を用いたレーザー吸収分光ができるようになりました [12].量子カスケードレーザーと高感度吸収分光法を組み合わせることによりNOxやSO2などのppbレベルの大気微量物質の検出が可能になっています [13].高感度吸収分光法のひとつであるキャビティーリングダウン吸収分光法では,実効光路長を数km以上取ることが可能なので低濃度の大気微量物質の計測が可能になります [13].他の高感度吸収分光法としては,波長変調吸収分光法と図2に示すような長光路多重反射セルを組み合わせた方法があります [14].この方法においてもホルムアルデヒドなどのppbレベルの低濃度の大気微量物質の計測が可能です.装置の小型化も進んでおり,片手で持てる数kgの重量で,温室効果ガスをはじめとした大気微量気体を高感度に計測できる装置が開発されています.

最近では,光周波数コムによるレーザー分光を用いたオープンパスでの大気微量物質の観測が行われています.この方法では,中赤外域において数百nmの波長掃引が可能であり,水,オゾン,二酸化炭素,亜酸化窒素,一酸化窒素の大気濃度の同時計測を可能にしています [16].
おわりに
分光計測法を用いた大気微量物質の観測について,最近の話題を中心に述べました.ここ最近の分光計測技術の進展においては,やはり光源の進化によるところが大きいことが分かります.さらなる分光光源の小型化,高出力化,広帯域化による温室効果ガスをはじめとした大気微量気体の環境分光計測の高感度化が期待されます.
参考文献など
- [1] 戸野倉賢一: 大気化学研究 34, 8 (2016).
- [2] JAXA地球観測研究センターホームページ https://www.eorc.jaxa.jp/GOSAT/index_j.html
- [3] NASA MODISホームページ https://modis.gsfc.nasa.gov/
- [4] 気象庁ホームページ https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/ghg_obs/index.html
- [5] W. Iriana, K. Tonokura, G. Inoue, M. Kawasaki, O. Kozan, K. Fujimoto, M. Ohashi, I. Morino, Y. Someya, R. Imasu, M. A. Rahman, and D. Gunawan: Sci. Rep. 8, 8437 (2018).
- [6] K. Tanaka,R. Kojima, K. Takahashi, and K. Tonokura: Infrared Phys. Technol. 60, 281 (2013).
- [7] PICARRO https://www.picarro.com/products/gas_isotope_analyzers/isotopic_carbon_dioxide_ico2
- [8] Los Gatos Research http://www.lgrinc.com/analyzers/isotope/co2-isotope-analyzer
- [9] T. Nakayama, Y. Matsumi, K. Kawahito, and Y. Watabe: Aerosol Sci. Technol. 52, 2 (2018).
- [10] 気象庁ホームページ https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/aerosolhp/aerosol_obs.html
- [11] 清水厚: 計測と制御 56, 335 (2017).
- [12] 戸野倉賢一: 光学 41,2 (2012).
- [13] A. Maity, S. Maithani, and M. Pradhan: Anal. Chem. 93, 388 (2021).
- [14] K. Tanaka, K. Miyamura, K. Akishima, K. Tonokura, and M. Konno: Infrared Phys. Technol. 79, 1 (2016).
- [15] Aeris Technologies社ホームページ https://aerissensors.com/
- [16] F. R. Giorgetta, J. Peischl, D. I. Herman, G. Ycas, I. Coddington, N. R. Newbury, and K. C. Cossel: Laser Photonics Rev. 15, 2000583 (2021).