GXに貢献する水素科学 エネルギーキャリアとしての水素をどう使いこなすか? ハイドロジェノミクスの挑戦 折茂慎一,佐藤豊人,髙木成幸 東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR),東北大学金属材料研究所,高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所,芝浦工業大学工学部機械機能工学科 特別WEBコラム GX : グリーントランスフォーメーションに挑む応用物理
時空間を超えた水素の多様性
原子番号1の水素は,ひとつの陽子(プロトン)とひとつの電子(エレクトロン)から形成される“最もシンプルな元素”です.英国の科学者ヘンリー・キャベンディッシュによりこの水素が発見されて250年の節目の年,すなわち2016年に,科学技術週間にあわせて文部科学省から図1の「一家に1枚 水素」のポスターが発行されました [1].このポスターでは,宇宙や太陽,生命や人体,そして身近なエネルギーに至るまで,水素がさまざまなところに顔を出し,それぞれにおいて重要な役割を持つことが分かりやすく描かれています.
例えば,左上の「宇宙と水素」では,宇宙誕生直後に水素が形成され,現在でも宇宙構成元素の約90%(原子数比)を占めることや,私たちの生命活動を支えている太陽も,水素のおかげで莫大なエネルギーを放出(いわゆる核融合反応)していることなどが説明されています.その下の「水素と生命」では,生命の設計図として知られるDNAが,水素の強い共有結合と比較的弱く自由度のある水素結合との絶妙なバランスで適切にはたらいていることなども書かれています.このように,広大な時空間を越えて,そして私たちの身近に,さらに私たちの体内にもたくさん存在する水素の多様性を紹介するこのポスターを,深読みサイトも含めてぜひ一度ご覧下さい [2].

エネルギーキャリアとしての水素,およびその利活用のための技術
水素の多様性のうち,図1のポスターの右にある「水をエネルギーに」で描かれているエネルギーキャリア(2次エネルギー)としての水素について注目します.
地球温暖化抑制の観点から,CO2排出の実質ゼロの実現を目指して太陽光や風力などの再生可能エネルギーの普及が望まれています.その再生可能エネルギーで得られた電気を有効に利用する,あるいはすぐに使い切れない電気を長期間に渡り貯蔵しておくために,電気を用いて水から水素を生成する技術やその水素を別の場所に輸送して燃料電池により電気・熱エネルギーに変換する技術が重要です.また,最近では,再生可能エネルギーを用いて水素そのものや水素を含むアンモニアなどの物質を合成して,それを火力発電で直接燃焼させることでエネルギーに変換する技術なども研究されています.
このように,水素は,エネルギーの変換・貯蔵・輸送するための媒体(キャリア)となるため,その製造や利活用するための技術に加えて,高密度・安全・経済的に貯蔵・輸送するための技術が不可欠となります.体積比で高密度にすると「コンパクト」な,そして重量比で高密度化すると「軽量」な水素貯蔵・輸送技術となるので,その両面から,さらには安全性や経済性からさまざまな研究が進められ,一部は既に社会実装されています [3].例えば,現在の燃料電池自動車で用いられている700気圧での「高圧水素(水素分子)」や長距離大量輸送に適するマイナス250°C程度での「液体水素(同じく,水素分子)」,さらには金属・合金などの材料中で水素を安定化させた「水素化物(多くの場合,水素原子)」を用いた水素貯蔵・輸送技術があり,何れもエネルギーキャリアとしての水素をさまざまな状況で利活用する際に必要といえます.
材料中にもっと水素を詰め込みたい!
上述の「水素化物」は,いうなれば「水素を原子レベルで材料中に詰め込んだ材料」といえます.いくつかの種類が知られていますので,以下の3つに分けてご紹介します.
侵入型水素化物
金属水素化物(あるいは水素貯蔵合金)としても知れられており,ハイブリッド自動車などでのニッケル水素電池の電極としても広く使われているLaNi5H6などが典型例です.ほとんどの場合,水素との親和性が高いLaなどの金属元素と,その反対に親和性が低いNiなどの金属元素とを組み合わせた合金(または金属間化合物)が基となり,その金属原子同士の隙間,いわゆる格子間位置に,ほぼ中性な水素原子(H0)が侵入することで金属水素化物として安定化します.これが水素を「貯蔵」した状態であり,周囲の水素圧力を下げることや50~100°C程度まで温めることで,比較的容易に水素を分子(水素ガス)として放出する性質を持っています.
塩型水素化物
イオン結合性水素化物ともよばれ,LiHやCaH2などがその典型例です.この場合,もととなる金属原子から水素側に電子が移動して,例えばLi+とヒドリドとも呼ばれる水素陰イオン(H−)となり安定化します.多くの場合,600~700°C以上の高温まで熱することでやっと水素を放出することができます.
錯体水素化物
この水素化物はもう少し複雑です.すなわち,BやNなどの非金属元素,そしてAlやNi,Feなどの金属元素が中心元素となり,水素がその周囲で共有結合(Hcov)することで,水素を多く含む「錯イオン(陰イオン)」が形成されます.錯イオンの典型例は,水素が4~6つ結合した,[BH4]−や[AlH4]−,[FeH6]4−です.この錯イオンが,LiやMgなどの金属陽イオンと結合することで,LiBH4やLiAlH4,Mg2FeH6などの多彩な錯体水素化物を形成します.「錯イオン」そのものが水素を多く含み,さらに錯体水素化物を構成する元素が比較的軽量であることから,金属水素化物よりもさらに高密度で水素を貯蔵することが期待されています.水素を放出する温度は,侵入型水素化物と塩型水素化物との中間である場合が多く,水素を利活用するためにはその温度を100~150°C以下にすることや反応速度を高めることが必要とされています.
もっと水素を詰め込むにはどうしたら良いか? その答えを求めて,最近,結合する水素の数をさらに増やす試みが進められています.高圧合成技術を駆使することで,2015年には水素が7つ結合した[CrH7]5−,さらに2017年には9つ結合した[MoH9]3−などを含む錯体水素化物の合成に成功しており,水素を原子レベルで材料中に詰め込む研究が進んでいます [4, 5].
水素を利活用するための水素貯蔵の観点で研究が進められてきた多様な水素化物ですが,材料中での水素の高密度化とともに,全固体電池への応用が期待される高速イオン伝導性,さらに室温にも迫る高温超伝導性など,新たな機能への注目も高まっています [6, 7, 8].
水素は,“最もシンプルな元素”か? ハイドロジェノミクスの挑戦
ここで,あらためて水素の性質を考えてみます.前節でご説明したように,水素は,材料中で図2のような結合多様性を示します.すなわち,原子状態H0や共有結合性Hcov,そしてイオン性(ヒドリドH−やプロトンH+の両極性),そしてそれらの中間状態にもなり,さらに各状態で水素自体の大きささえも劇的に変えます.これにより,金属・合金に加えて,セラミックスやポリマーをはじめとするさまざまな材料中で,ppb(十億分の1)から%(100分の1)あるいはそれ以上にも至る実に1千万倍以上の極めて広い濃度範囲で安定化するとともに,高い移動性や量子性(粒子としての性質と波動としての性質がどちらも現れること)などを示します.このような観点では,水素は“最もシンプルな元素”ではなく,実は“最も変幻自在な元素”といえます.

このような“最も変幻自在な元素”としての材料中での水素に注目して,工学・化学・物理学・生物学などの幅広い学問分野の研究者が有機的に連携した研究を進め,エネルギー,エレクロトニクス,生命・バイオなどのさまざまな研究領域で水素を“使いこなす”ための新たな指導原理,すなわちハイドロジェノミクス(hydrogenomics: hydrogen(水素)-omics(学術体系))の構築を目指した研究を,文部科学省科学研究費助成事業・新学術領域研究として鋭意実施しています [9].
さらに,日本独自のこの取り組みを拡大するために,「日本MRS水素科学技術連携研究会(Hydrogenomics Alliance,Japan)」も設置されました [10].本研究会は,以下の3つの理念を掲げています。1) 異なる学問分野を尊重して,また既存の学協会等とも連携しながら,将来の連携研究を促進するための最先端動向の共有の場とする.2) 産学官の研究者・技術者が,基礎科学から技術開発・社会実装までを見通す議論の場とする.3) 関連分野の先達から若手に至る全世代交流を目指すことで,特に若手研究者・技術者にとっての人脈形成の場とする.
学界と産業界が連携することで,時空を超えた水素の理解とそれをさらに高度に“使いこなす”ための知見を獲得して,実社会でのグリーントランスフォーメーションGXに貢献したいと思います.
参考文献など
- [1] https://www.mext.go.jp/stw/common/pdf/series/hydrogen/hydrogen.pdf
- [2] https://www2.kek.jp/imss/education/hydrogen/
- [3] 例えば,佐藤豊人, 折茂慎一: 応用物理 90, 570 (2021).
- [4] S. Takagi, Y. Iijima, T. Sato, H. Saitoh, K. Ikeda, T. Otomo, K. Miwa, T. Ikeshoji, K. Aoki, and S. Orimo: Angew. Chem., Int. Ed. 54, 5650 (2015).
- [5] S. Takagi, Y. Iijima, T. Sato, H. Saitoh, K. Ikeda, T. Otomo, K. Miwa, T. Ikeshoji, and S. Orimo: Sci. Rep. 7, 44253 (2017).
- [6] R. Mohtadi and S. Orimo: Nat. Rev. Mater. 2, 16091 (2016).
- [7] S. Kim, H. Oguchi, N. Toyama, T. Sato, S. Takagi, T. Otomo, D. Arunkumar, N. Kuwata, J. Kawamura, and S. Orimo: Nat. Commun. 10, 1081 (2019).
- [8] 髙木成幸, 折茂慎一: 固体物理 54:5, 31 (2019).
- [9] https://hydrogenomics.jp/
- [10] http://hydrogenomics-alliance.jp/
著者プロフィール
© 1999-2023 The Japan Society of Applied Physics (JSAP).