特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 非接触体温計測 木股 雅章
1. まえがき
体温は,体の健全性を知るための最も基本的な指標の1つで,人は体調がすぐれないと,まず体温を測る.体温を測る計測機器としては,古くは水銀体温計が用いられ,現在は電子体温計が一般的になっている.水銀体温計と電子体温計は,計測器と体の温度が同じになる平衡状態をつくることで計測を行う接触式計測器である.平衡温度になるのに時間がかかるため,平衡状態を予測する電子体温計でも計測するのにある程度の時間が必要になる.
医療用体温計として認められているのは接触式の体温計であるが,最近,ニュースなどでスポット温度計やサーモグラフィ(温度計測ができる赤外線カメラ)を用いて非接触で体温を計測する状況を目にすることが多くなった.こうした機器を用いると一瞬で温度計測を行うことができる.新型コロナウイルス感染症拡大防止対策などでは,多くの人の体温を,被計測者に負担をかけることなく短時間に計測する必要があるので,接触式に比べ非接触方式が圧倒的に優れている.しかし,スポット温度計やサーモグラフィは赤外線放射量を測定することによって,体表面温度を推定する機器であり1),診断に使われる体温を得るためには換算が必要である1).ここでは,スポット温度計やサーモグラフィの測定原理と性能,および使用する際の注意事項を紹介する.
2. 赤外線放射
ものは600°C以上に加熱すると目に見える光を発する.発する光の色(波長)と量(放射束)は温度に依存し,高温の炉の温度を出てくる光で計測することもできる.物体からの光放射は高温のときにだけ起こる現象ではなく,低温でも同じメカニズムで光が放出される.しかし,人体を含む室温付近の温度を持った物体が放射する光は,波長が10µm付近を中心とした赤外線波長域の光で,肉眼で見ることはできない.
室温付近の温度を持った物体が放射する赤外線は,赤外線センサを用いることで検出/計測することができる.地球上では物体が放射した光は大気を通って伝搬するので,正確に計測するには大気の吸収の少ない波長域を用いる.本稿で話題にする非接触体温計測には,放射束が大きく,大気の透過率の高い8〜14µmの波長帯が用いられる2).
物体から放射される放射束は,温度と波長に依存し,分光放射発散度(単位面積から放射される単位波長当たりの放射束)はPlanckの放射則に従う.高温になるほど放射束は大きくなる.放射発散度(単位面積当たりの放射束)は,Planckの式を全波長域で積分したStefan-Boltzmannの法則に従う2).Stefan-Boltzmannの法則によると,放射率が1(人体の放射率はほぼ1と考えていい)で温度が37°Cの物体の放射発散度は,5.2×102W/m2 である.このうち40%弱が8〜14µmの波長域に含まれるので,非接触体温計測が対象とするのは約2.0×102W/m2の放射発散度を持った計測対象になる.
接触式の体温計測では温度分解能は通常0.1°Cである.非接触計測における温度分解能は,放射発散度の絶対値ではなく,放射発散度の温度依存性で決まる.温度が37°Cでは,8〜14µmの波長域の1°C当たりの放射発散度の変化は2.9W/m2Kである3).したがって,接触式の体温計測の温度分解能を非接触方式で実現するためには,0.29W/m2の放射発散度の変化を計測する必要がある.
3. 赤外線センシング
波長が8〜14µmの赤外域に感度を持った赤外線検出器として非接触体温計測用のスポット温度計やサーモグラフィに用いられているのは,冷却が不要で価格が手頃な熱型である.熱型赤外線検出器は,吸収した赤外線エネルギーを受光部の温度変化に変換して赤外線を検出する.このうち,スポット温度計は熱型赤外線検出器として素子を1つ用いて一点の温度を取得するものであり,サーモグラフィは,画像解像度に応じ赤外線検出器として素子を複数個(例えばVGAでは横640個,縦480個)ならべて用いて温度分布を画像として取得するものである.
図1に熱型赤外線検出器の基本構造を示す4).受光部は赤外線吸収層と温度センサで構成されていて,支持構造でヒートシンクとなる基板と断熱された状態で保持されている.入射した赤外線は,赤外線吸収層で吸収され受光部の温度を変化させる.支持構造の熱コンダクタンスが十分小さければ,受光部に検出可能な温度変化が生じる.温度変化の大きさは,熱コンダクタンスに反比例するので,熱型検出器の感度は,温度センサの感度に比例し,熱コンダクタンスに反比例する.
ここで,第2章で議論した人体からの赤外線放射と,温度センサで計測可能な温度変化を考慮して,熱型赤外線検出器で接触式体温計と同じ温度分解能を得るための条件を考えてみる.
最先端の最も小さな赤外線検出器のサイズは12µm角であり,標準的なレンズを考えると,人体の温度が0.1°C変化(放射発散度が0.29W/m2変化)した場合,赤外線検出器が吸収する放射束は0.01nW程度変化する.熱型赤外線検出器に用いられている抵抗ボロメータや単結晶シリコンダイオードは,1mK以下の温度変化を検出することができるので,接触式体温計と同じ温度分解能を得るためには,熱コンダクタンスを10-8W/K以下にしなければならない.
これまで,熱コンダクタンスの低減は熱型赤外線検出器の高性能化に最大の貢献をしてきた4).最先端の赤外線検出器では,熱コンダクタンスに対する上記の目標を高度なMEMS (Microelectromechanical Systems) 技術と,高い真空度を維持できるパッケージング技術により達成している.
4. 赤外線による非接触体温計測
1990年代の熱型赤外線検出器の性能改善により,非接触体温計測で接触式体温計測と同レベルの温度分解能の体温計測ができるようになったので,2003年のSARS (Severe Acute Respiratory Syndrome) 発生以来,サーモグラフィが空港における発熱者のスクリーニング検査などに用いられるようになった5).新型コロナウイルスの感染拡大が始まってからは,画像が得られるサーモグラフィだけでなく,点計測用のスポット放射温度計で額の温度を計測している状況を目にすることも増えてきた.
体温計測で体調異常を検出するためには,環境温度に依存しない深部体温を知ることが重要であるが,非接触体温計測で計測しているのは体表面の温度である.体表面の温度は,周囲環境とのエネルギーのやりとりで変化し,体の部位にも依存する.そのため,空港検疫で行われているサーモグラフィを用いた非接触温度計測では,計測された体表面温度から深部体温を推定することで詳細な検査が必要な人を見つけている.
赤外線による非接触体温計測は,パンデミックが起こるたびに注目される.最近,新型コロナウイルス感染拡大防止策として,東京都が都内の2600を超える学校のサーモグラフィ導入を支援することが報じられた6).また,今回のパンデミック発生後,中国ではWuhan Global Sensor Technology社が10000台,米国ではSeek Thermal社が4000台の非接触体温計測用サーモグラフィを販売したと報告されていて7),サーモグラフィ市場が2020年に急拡大すると予想されている.
5. 非接触体温計測の利用の問題点
赤外線非接触体温計測技術は,すでに実フィールドで活用されているが,正しく使用するためには以下の2つの問題点を理解して利用する必要がある.
第1の問題点は,絶対温度の測定精度に関わるものである.熱型赤外線検出器の出力は,被計測対象から入射する放射束と検出器が放射する放射束の差で決まるので,被計測対象の温度だけでなく,赤外線検出器の温度が変化しても変化する.また,サーモグラフィやスポット温度計では被計測対象からの赤外線入射を遮断した状態でも,機器内部が発する赤外線が迷光として赤外線センサに入射するので,機器の温度が変化すると出力の絶対値は変化する.温度分解能は第3章で説明したように体温計測応用に使えるレベルであるが,温度の絶対値の精度は通常のサーモグラフィでは±2°Cで,体温計測に特化し精度を上げたものでも±0.5°Cと言われている7).視野内に基準温度光源を置いて絶対精度を向上する手法もあるが,この方法でも±0.3°Cが現状の実力である.
第2の問題点は,人体部位による体表面温度の差異に関するものである.接触方式でも直腸,口腔内,腋窩(えきか)など計測部位で温度差があるが,体表面でも通常計測される顔の中で図2に示すように温度分布がある.図2は体温計測用のサーモグラフィではなく,スマートフォン用アクセサリ赤外線カメラを用いて得た画像で,温度の高い部分は白く,黄色,赤,紫,濃紺の順に温度が低くなっている.スポット温度計を使った体温計測では,通常額で温度を計測しているが,額は適切ではなく,涙管付近で計測するのが妥当といわれている7).図2でも両目の間に高温度部分あることが確認できる.空港検疫などで用いられるサーモグラフィでは,どのようなアルゴリズムで正常/異常を判定しているか明らかではないが,顔の一部の温度を計測して判断する場合は,どの部分の温度を計測しているのか,その部位の温度と深部体温の差の環境温度依存性はどうなっているか,またそれらのバラツキがどの程度と考えられるかを正確に把握しない限り正しい判定はできないことになる.
米国では,上記のような問題点を解決するために,食品医薬品局が企業と協力して体温計測器として認定可能なサーモグラフィ装置の開発を進めている7).国内でもこうした計測精度向上技術の開発が望まれる.
6. むすび
新型コロナウイルス禍の今,赤外線を用いた非接触体温計測技術は,発熱スクリーニング手法として大きな注目を集め,スポット温度計とサーモグラフィの特需が発生している.しかし,深部体温を推定する手法としてまだ課題があり,間違って陰性(false negative)と判定される確率も高いと考えられる.現状では,非接触体温計測の問題点を正しく理解し,その制約下で有効活用していく必要がある.今後,非接触体温計測の精度が向上し,医療用として認められるようになることを期待する.
文献
- 1) https://www.std.pmda.go.jp/scripts/stdDB/kijyun/stdDB_kijyun_resr.cgi?Sig=1&kjn_betsunum=3;kjn_no_parm=781;kjn=ninsyou&ID=1300781 (2020年5月30日).
- 2) 木股雅章:赤外線センサ 原理と技術 (科学情報出版,2018).
- 3) J. M. Lloyd: Thermal Imaging Systems (Plenum Press, 1975).
- 4) 木股雅章:応用物理 87, 648 (2018).
- 5) 太田二朗:NEC技法 63, 56 (2010).
- 6) https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59297570Z10C20A5CC1000/ (2020年5月30日).
- 7) Infrared Imaging News Issue (Maxtech International, April, 2020).
