特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 将来の戦いに備えて 村上 裕彦 株式会社アルバック 未来技術研究所
1. ポストコロナを支えるワクチン
まずワクチンの仕組みを,簡単にまとめておきます.病原体の中から,弱毒化したもの,あるいは不活化して無毒化したものを人に投与すると,実に不思議なことが起こります.体は病原体が侵入したと思い込んで,免疫反応が起こります.それによって抗体ができ,身体の中に“獲得免疫”が得られ,実際に本物の病原体が侵入してきたときに,闘うことができます.
ようするに,ワクチンとは抗体を作って攻撃をする免疫のプロセスを人工的に再現することで,ウイルスが体に侵入したときに,発症しにくくしたり,重症化を防いだりするためのものといえます.では,新型コロナウイルスに対するワクチン製造は可能か,という問いに対する答えは簡単で,新型コロナウイルスワクチン製造は100%可能になります.というのも,すでに回復患者さんの多くが試験管内でウイルス感染を中和し,また重症の肺炎の患者さんを回復させる力がある抗体をもっていることが報告されています.すなわち,人間が新型コロナウイルス増殖を止める抗体を作ることが証明されているわけで,当然ワクチンでも同じような免疫を人体に誘導することは可能になります.
新型コロナウイルスのワクチン製造には,伝統的なタマゴ(鶏卵)を使ったワクチン製造だけでなく,全く新しい遺伝情報を利用したワクチン製造も進んでいます.この新しいワクチンは,ウイルス遺伝子の一部をほかの遺伝情報を体の中に入れ,ヒトの体内で希望する病原体を作るというアイデアから生まれたもので,RNAワクチンやDNAワクチンと呼ばれます.それら製造の最大のメリットは,人間の体の仕組みを使って原理的にはどんなタンパク質でも製造可能であり,かつ,早く作れるということにあります(図1-1).
現状のワクチン開発の状況は,すでに多くの総説が発表されていますが1),もしワクチンができたとして,それを市場に出すための臨床試験として,次の3つのステージが必要になります.第1相は,数十人の健康なボランティアを被験者にして,ワクチンの安全性を評価します.ここで数カ月かかり,もし健康なボランティアに薬物副作用が見られなければ,第2相に進みます.ここでは,数百人にワクチンを投与することになりますが,ワクチンがうまく被験者の体を刺激して抗体をつくらせ,病気を撃退するかどうかのデータを集めるには,6カ月以上の時間が必要になります.全てが順調に進めば,第3相では,パンデミックの地域で数千人の人々を対象にワクチン投与を行います.ここまで終われば,各国の規制機関が,ワクチン承認の可否を決定しますが,さらに数カ月かかるといわれます. 現在,新型コロナウイルス用のワクチン開発レースには数多くの機関が参加していますが,臨床試験に移る準備ができているのは数社に過ぎません2).多くの研究機関が参加する理由は,ワクチンがパンデミックを解消する切り札と期待されているからです.その期待の大きさは,ワクチンが完成したとき,Covid-19ワクチン証明書を世界で発行し,海外渡航の必需品にしようとの提案まで議論されていることからもわかります3).もし長期間続く免疫獲得が困難であっても,インフルエンザのように必要なときに抗体価を高めることができさえすれば,それで十分次のパンデミックを抑えることが可能になります.
2. RNAワクチンがもたらすもの
RNAを使った治療薬の開発は,実は新型コロナウイルスなどの感染症よりも,がん治療薬の開発が先導していました.今回,世界中を巻き込んだパンデミックで,新型コロナウイルスのワクチン製造に注目が集まり,さらにその有効性が確認されれば,次世代の医療を担うRNA創薬の分野が一気に進展するかもしれません.もしそうなれば,次の全く新しい新型コロナウイルスが仮に登場しても,RNAの配列だけを変えて新薬を作ることも可能になります.今のところ,承認されたRNAがん治療薬はありませんが,RNAによってその個人のがんだけに特別に効く薬を可能にし,ほとんど副作用をなくすことも可能になります.
この2020年は,新型コロナウイルスの出現という重苦しい話題からスタートしましたが,まるでSFに登場するような,カプセルの中身(配列情報)を変えるだけで,いろいろな病気にポンポン使える核酸創薬が実用化した希望の年と記憶されるかもしれません.
【付録:意外なワクチン開発の懸念】
世界中が感染を鎮めようと経済を犠牲に,あらゆる対策を打った結果,全世界の感染者数は減少に転じています.このため,ほとんどのワクチンは第3相の臨床試験が実行できなく,次の流行時までに本当の効果が確かめられないかもしれません.この場合,次の流行が来て初めて治験が可能になりますが,当然,このときまで何十種類ものワクチン候補が残っていたら,どれを選ぶか混乱は避けられないかもしれません.
【付録:日本人で重症者が少ない2つの可能性】
一般的にいわれるようになったBCGワクチン効果があります.多くの国でBCGワクチンの新型コロナウイルス感染予防効果を確認する治験が進行しています.米国ジョンズ・ホプキンス大学から,BCG世界地図と新型コロナウイルス地図を比較しています4).また,3月の時点で,Science誌はオランダでのBCG接種が進行中であることを報告していますし5),2018年のCell Host & Microbe誌は,免疫反応というより血液全体の状態が強化され,ウイルスの種類を問わず抵抗性が上がったという報告をしています6).最終的なメカニズムは不明ですが,BCGによるウイルス増殖抑制作用が人間で確かめられており,重要な報告といえます.もう1つの可能性は,日本人のHLA(白血球の血液型)の分布と旧型コロナウイルスに対する免疫記憶にあるかもしれません.感染後の免疫反応が典型的な反応でなく,免疫T細胞システムが,すでに新型コロナウイルスと共通のさまざまな抗原と出会っている可能性を示唆する報告があります7).新型コロナウイルスと旧型コロナウイルスは,500以上の抗原ペプチドを共有しており,その結果,旧型コロナウイルス感染の個人履歴は,新型コロナの免疫反応に大きな影響を及ぼす可能性があります.ただ残念ながら,まだ新型コロナ感染過程で見られるT細胞免疫反応を調べた論文は少なく,今後の研究を待ちたいと思います.
文献
- 1) F. Amanat et al.: Immunity 52, 583 (2020).
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1074761320301205 - 2) Megan Molteni: “Everything You Need to Know About Coronavirus Vaccines,” Wired (2020).
https://www.wired.com/story/everything-you-need-to-know-about-coronavirus-vaccines/ - 3) A. L. Phelan: Lencet 395, 1595 (2020).
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(20)31034-5/fulltext - 4) ジョンズ・ホプキンス大学のBCG世界地図.
https://www.researchgate.net/figure/Map-displaying-BCG-vaccination-policy-by-country-A-The-country-currently-has-universal_fig2_50892386 - 5) J. de Vrieze:Science (March 23, 2020) [DOI:10.1126/science.abb8297].
https://www.sciencemag.org/news/2020/03/can-century-old-tb-vaccine-steel-immune-system-against-new-coronavirus?fbclid=IwAR3UkYZT941PpzUVKkNwXzkARg9uL-d2OdiZV0qQICrL9U5ke0FwegMwYZ0 - 6) R.J.W. Arts et al.: Cell Host Microbe 23, 89 (2018).
https://www.cell.com/cell-host-microbe/fulltext/S1931-3128(17)30546-2?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS1931312817305462%3Fshowall%3Dtrue - 7) Q.X. Long et al.: Nat. Med. (April 29, 2020) [DOI: 10.1038/s41591-020-0897-1].
https://www.nature.com/articles/s41591-020-0897-1
