特別WEBコラム 新型コロナウィルス禍に学ぶ応用物理 人類と感染症 村上 裕彦 株式会社アルバック 未来技術研究所

1. 感染症の歴史

この原稿を書いている2020年5月21日時点,米国ジョンズ・ホプキンス大学システム科学工学センターの集計によると,新型コロナウイルスによる全世界の感染者数は500万人を超え,死者数が32万人にも達しています1).人類と感染症との闘いは今に始まったことではなく,感染症がどのように発生し,収束したのかを振り返ることにより,今一度,私たちが直面している新型コロナウイルスのについて考えるよりどころにしたいと思います. 人類の誕生とともに感染症との闘いが始まり,14世紀には欧州の人口の1/3がペストにより命を落としたともいわれており,人々は病を“黒死病”と呼び恐れていましたが,1894年には我が国の北里柴三郎によりペスト菌が発見され,有効な治療法を確立しています2)

また,1918年からのインフルエンザの汎流行:スペイン風邪では,世界中で5億人以上の者が感染し,戦死者より多い死者を出したといわれ,死亡者数が2000万人とも4000万人ともいわれる多くの人の命を奪ってきました.インフルエンザウイルスは人間が免疫をもっていない形態にすばやく変身するため,約30年に1度のペースで誰も免疫をもっていないウイルス形態が発生し,大流行が起こっています3).このスペイン風邪の収束には徹底した対策の義務付けが功を奏したと,セントルイス市の対策は,人口10万人あたりの死亡者数が最も少ないと全米でも注目が集まっています4)

19世紀まで感染症に負け続けた人類が,特に第2次世界大戦後,細菌由来の感染症には次々と新しい抗生物質を発見し,また,ウイルス由来の感染症にも抗ウイルス薬やワクチンの開発を進め,1980年には世界保健機関(World Health Organization: WHO)による天然痘の根絶宣言という人類にとっての金字塔を打ち立てています.その当時,抗生物質によって細菌は,もはや人類の脅威ではあり続けないと思われたようですが,その後,細菌は抗生物質を突破して攻撃を始めています.今までは勝てていた細菌でも,抵抗力が落ちているときなどには,耐性菌による感染症にかかることがあり,この場合,抗生剤が効かないため治療ができなくなることがあります.また,ウイルスも新たなタイプが登場し,人類vs.感染症の闘いは一進一退の攻防が続いていますが,特に近年,SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)やMERS(Middle East Respiratory Syndrome),そして今回の新型コロナウイスと,短期間のうちに次々と新しいウイルスが誕生しているように思えます5,6).今,新型コロナウイルスを経験した1人として,医療の発達で多くの予防術が提案されていますが,感染症対策にはどんな技術より,我々の“意識”こそが最大のキーワードになることを実感しています.

2. コロナウイルスとは?

コロナウイルスとはその遺伝情報を細胞内部などに存在する核酸の1つRNA(リボ核酸)をもつウイルスの仲間です.コロナウイルスは,動物に感染するものが多数知られていますが,ヒトに感染するものとしてはこれまでに6種類が知られています.このうち4種類(ヒトコロナ)は,いわゆる風邪を起こすウイルスで,風邪の10〜15%程度,流行期では35%程度になるといわれています7).そして今回流行しているコロナウイルスの正式名称は,SARS-CoV-2といい(SARSのコロナウイルスに遺伝子的に近い),ヒトに感染する7種類目になります(図1-1).このSARS-CoV-2によって引き起こされる病気のことをCOVID-19と呼びます8).ちなみに,“コロナ”の由来は,太陽のコロナに似ていることにあります.

(c) 2020 JSAP.
図1-1 コロナウイルスの種類

では,そもそもウイルスとは何か? 細菌との違いを考えてみます.細菌は1つの細胞で構成される単細胞生物ですが,ウイルスは細胞をもたず,遺伝情報をもつ核酸(DNAまたはRNA)をタンパク質でくるむような基本構造をしています.そのため,自分で増えることも,代謝もできないので,今のところ生物とは定義されていません(図1-2).ウイルスの中には,さらに外側を脂質の膜(エンベロープ)で覆ったものがあります.エンベロープをもたないウイルスの代表例がノロウイルスで,コロナウイルスはエンベロープをもっています.このエンベロープには,スパイクと呼ばれるウイルス由来のタンパク質が発現していて,これがウイルス感染するときに重要な役割を果たします.もし,エンベロープがなくなると,ウイルスは細胞の中に入り込むことができず,感染力が低下します.このエンベロープを,アルコールや石鹸で溶かすことができるので,ウイルスは死ぬというよりは壊れるので,石鹸による手洗い予防が有効なわけです.

(c) 2020 JSAP.
図1-2 ウイルスと細菌の違い

生物でないウイルスは,自らの力では増えることはできませんが,動植物の細胞に寄生し,その中で増殖することができます.動植物の細胞には細胞の外の栄養分を取り込むためにもともともっている機能があり,ウイルスはそれを巧みに利用して細胞の中に入り込みます.細胞の中に入ったウイルスは,自らの遺伝情報を使って,ウイルス自身に必要なタンパク質を作り,それらのパーツを細胞中で集合し,細胞由来の膜を外側にまとった状態で,つまりエンベロープを獲得して,子孫ウイルスを増殖していきます(図1-3).

(c) 2020 JSAP.
図1-3 ウイルス増殖のメカニズム

文献

著者プロフィール

村上 裕彦

(むらかみ ひろひこ)

株式会社アルバック未来技術研究所所長,大阪大学招へい教授.
1986年大阪大学大学院工学研究科原子力工学専攻博士前期課程修了の後,日本原子力研究所入社.1989年,(株)アルバック入社,(財)超電導工学研究所,アトムテクノロジー研究体への出向を経て,1996年,筑波超材料研究所室長.その後,部長,所長を経て,2015年未来技術研究所所長,現在に至る.博士(工学)(1992年,東北大学).