第27回光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞) 受賞者
- 受賞者
- 井戸 哲也 氏(国立研究開発法人情報通信研究機構)
- 業績
- 光格子時計による標準時高精度化の実現
光格子時計は日本の光・量子エレクトロニクス分野が世界に誇る発明のーつである.光格子時計は秒の再定義実現,重力ポテンシャルセンサとしての測地利用等,複数の活用分野が議論されてきているが,これらはまだ社会実装には至っていない.井戸 哲也氏は光格子時計の原理検証である無反跳分光を2002年に実現して光格子時計誕生に大きな貢献をするとともに,米国JILAで自らストロンチウム(Sr)光格子時計を立ち上げたのみならず,2006年からは情報通信研究機構(NICT)にて,光格子時計を用いて協定世界時や日本標準時を高精度化する方法を世界に先駆けて実現した.井戸氏の貢献により,世界中,また日本中が基準とする協定世界時や日本標準時の進み具合(歩度)調整に光格子時計が利用されるようになったことは,光格子時計が「日常的に使える技術」であることを示す最初の例である.井戸氏のこれらの基礎科学から社会実装までの領域をカバーする顕著な実績は宅間宏賞の趣旨にふさわしい.
井戸氏は光格子時計の発明者である香取 秀俊氏と共に原理検証となる無反跳分光を実現し,光格子時計の誕生に大きく貢献した.その後,JILA(米国)にて自らSr光格子時計の立上げを行って光格子時計の発展に大きく寄与するとともに,当時マイクロ波標準から光標準へ時代が変わる節目にあってその強力な駆動力となった光周波数コムや精密な周波数測定の技術を習得した.2006年に帰国するとNICTにおいて,これら広範な時刻周波数標準に関する技術や知見をベースにしてSr光格子時計を日本標準時生成や協定世界時維持の現場に活用するための技術開発を着実に進めてきた.
光格子時計に代表される光時計は,不確かさこそマイクロ波標準を圧倒的に凌駕するが,光を制御する必要があるため現状での長時間連続運転は容易ではない.そのため,一秒も停止することが許されない時刻維持を光格子時計のみで実現することは,一年以上に及ぶ連続運転,多数台による冗長・アンサンブル化等が必要となるため,まだ先のことと見なされてきた.井戸氏は,まず,光格子時計を週に一回程度,間欠的に運転するだけであっても,既存の水素メーザーと組み合わせれば,国際原子時による一秒を利用して光格子時計遷移の絶対周波数を小さい不確かさで測定出来ることを発見し,実験的に示した.この手法では,多数台のCs原子泉によって歩度が維持されている国際原子時を基準とすることから,1) Cs原子泉基準を自らの研究所内に持たずとも絶対周波数測定が出来るようになる,2) 原子泉の系統的不確かさを平均化して低減出来ること,という利点がある.この利点により世界中の標準研究所では資源配分を原子泉などのマイクロ波標準から光標準へさらにシフトさせることができるようになり,今や大多数の光時計はこの手法で絶対周波数値をCCTFに報告し,それらのデータに基づいて秒の再定義の議論が現在進んでいる.次に,NICTで日本標準時を司る時空標準研究室を率いるようになった2017年以降は,光格子時計を時刻利用に活用する研究を進めた.NICT内で水素メーザーと光格子時計を組み合わせて時刻信号を生成すると,国際原子時の16桁目からの周波数ズレを正確に検出することを明らかにした.またこの時刻信号がBIPM地球時(BIPM(国際度量衡局)が世界中の原子時計400台余りとCs原子泉標準10台弱のデータを集めて後から計算する最も正確な時刻)に対して,半年で1ナノ秒未満しかズレないことを明らかにした.これによって間欠運転をする光格子時計によって国際原子時の歩度校正が十分可能であることを証明した.現在では世界中の複数の光格子時計が歩度校正を実施し,時として20%以上の重みで光格子時計によって国際原子時の歩度が維持されることも生じるようになった.
そして,NICTが発生・維持し,放送局や通信会社等が参照して時刻合わせを行っている日本標準時においても,多数台の原子時計によって決して止まらないロバスト性を持つ標準時システムの特長を活かしたまま,光格子時計による歩度補正を入れることで,従来15ナノ秒程度に達することもあった日本標準時と協定世界時の時刻差を5ナノ秒以下に抑えることに成功している.このことは,我が国が自ら所有する原子時計群のみを参照して長期に渡り正確な時刻を維持出来るようになったことを意味している.昨今,GNSSによる時刻同期の脆弱性について議論されており,時空情報配信は国家的課題となっている.井戸氏による日本標準時の高精度化は我が国の経済安全保障にも資する成果であり,またひいては将来準天頂衛星システムが米国GPSシステムに頼らずに自ら時刻を維持して運用出来るようになるための基盤となる成果となることが想定される.
以上の業績は第27回光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)を授与するにふさわしい内容と評価し,受賞者に選考した.
- 受賞者
- 緑川 克美 氏(国立研究開発法人理化学研究所)
- 業績
- XUV域高出力アト秒コヒーレント光源の開発およびアト秒科学研究の推進
緑川 克美氏は,大型レーザーや放射光などの大規模施設でなく,実験室規模の装置によるXUV域コヒーレント科学の開拓に,一貫して取り組んできた.高次高調波発生によるコヒーレントXUV光の生成,特にその高出力化とアト秒パルス生成に取り組み,世界をリードする成果を挙げてこられ,更にXUV域非線形光学および原子・分子アト秒ダイナミクスに関する研究を推進し,未踏の光科学領域を開拓した.
以下に,研究概要と主な成果を記す.
1. 高調波生成用光源の開発とアト秒XUVパルス生成
1) µJ級高次高調波の生成:XUV域コヒーレント科学を開拓するには,その高出力化が不可欠との考えに基づき,超短パルスレーザー光を希ガス気体中で弱集光長距離伝搬させ,高次高調波位相整合長を大幅に伸ばす条件を見出し,その結果,高調波変換効率の大幅な(40倍)向上とµJ級(sub-µJ @ 30nm,10µJ @ 60nm)高調波の生成に初めて成功した.この方法は,世界の多くの研究機関で高調波生成に利用されている.
2) 水の窓域高次高調波の生成:光電離による位相不整合を避けるため,長波長励起光(1.55µm)と高電離ポテンシャル原子(Ne,He)を用い,水の窓域高調波光を高効率で生成できることを初めて示した.
3) 近赤外高出力超短パルスレーザーの開発:XUV域高調波の出力向上を目指し,近赤外域で高出力を得るための二重チャープ光パラメトリック増幅法(DC-OPA)を考案し,更に高出力化とCEP 安定化を進め,波長1.7µm,パルス幅10.4fs(2サイクル),ピーク出力10TW,繰り返し10Hzのレーザー光の安定生成に成功した.
4) 光シンセサイザーの開発:水の窓域高出力高調波生成に適した,波形を設計・制御可能な,時間的に分離した超短レーザーパルス光を生成するため,複数のレーザー光をコヒーレント合成する「光シンセサイザー」を開発した.2波長合成に続き,高出力OPAで生成するポンプ光(800nm),シグナル光(1350nm),アイドラー光(2050nm)の位相を高精度で制御し,安定に動作するコヒーレント合成光を実現した.
5) 孤立アト秒XUVパルスの生成:光シンセサイザーで生成したレーザー光を励起光とし,孤立アト秒XUVパルスを生成した.3波長シンセサイザーレーザー光により,65eVでパルス幅170as,エネルギー0.24µJ,ピーク出力1.4GWの孤立XUVパルスの生成に成功した.GW級アト秒XUVパルスは,アト秒域非線形光学を開拓すると期待される.
2. XUV域アト秒科学の推進
緑川氏のグループは,高調波で生成したXUV光を用い,XUV域アト秒科学の先駆的な研究を展開している.以下に概要を記す.
1) XUV域非線形光学の開拓:42eV XUV光により,He 原子の2荷イオン生成を観測し,これが2光子吸収に起因することを示した.また2光子吸収を用いた自己相関法により,XUV光のパルス幅を測定した.これはXUV非線形光学とその応用の初めての実証である.
2) 核振動波束安定時間の測定:EUV超短パルス光吸収により生成した水素イオン(H2+)において,その基底準位の振動状態の位相を精密に計測し,振動状態と自由電子状態との干渉により,振動状態が安定するまでに約1fsかかることを初めて明らかにした.これは,光遷移において初期及び終状態の核の位置および運動量は変化しないとするフランク-コンドンの原理の適用限界を示す初めての成果である.
3) 分子振動および電子波束ダイナミクスの解明:極短EUVパルスを用いたポンプ―プローブ法により,振動波束および電子波束のアト秒域ダイナミクスを明らかにし,多原子分子における核-電子結合運動の理解に基づく「アト秒化学」の道を拓いた.
これらの成果の一部は緑川氏による総合報告 “Progress on table-top isolated attosecond light sources,” にまとめられ,スエーデン王立科学アカデミー・ルント大学主催により開催されたNobel Symposium “Attosecond Science and Technology” の冒頭セッション Attosecond Sources で招待講演を行うなど,その業績は世界的に高く評価されている.
以上に記したように,XUV域高出力アト秒コヒーレント光源の開発およびアト秒科学研究を推進されてきた緑川 克美氏は,光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)にふさわしいと判断し,本年度受賞者に選考した.
2025年度 光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)表彰委員会
- 委員長
- 植田 憲一
- 委員
- 清水 富士夫,加藤 義章,五神 真,中沢 正隆,武田 光夫,野田 進,香取 秀俊,江馬 一弘,平野 琢也,豊田 晴義,土肥 正明