日本物理教育学会会長 | 霜田 光一 |
日本物理学会会長 | 潮田 資勝 |
応用物理学会会長 | 榊 裕之 |
貴審議会は、5月付けで教育に関する意見を募集されました。物理学関連の3学会は、現行の学習指導要領の下では、すべての児童・生徒に理科の基礎を習得させることが困難となっていると認識しており、理科教育の改善策(教育内容の改善、授業時間の充実、教師の研究・教育条件の改善)を、以下に提言します。 |
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1. 現行の小中学校学習指導要領の問題点 |
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小中学校学習指導要領では,生徒にとって身近な自然現象や社会が直面する課題を理解する際に不可欠な物理分野の教育内容の多くが、削減されてきた。たとえば、原子・分子・電子などの学習、物の重さや水圧・浮力などの学習、仕事や熱の学習なども、小中学校の教育から消えつつあり、大きな問題が生じている。 理科における物理分野の学習目的は、多様な現象やものに対し共通に成り立つ基本法則や概念を理解し習得することにある。身の回りの自然現象や社会の直面する課題を理解する際に必要となる基本知識や探求方法を児童・生徒に習得させることは、義務教育の使命の一つである。確かに、基本的な概念や法則は、抽象的で理解しにくい面がある。しかし、それを理由に、基礎法則や概念を学習する機会を閉じれば、生徒が身に付けるべき基礎知識も単なる暗記や皮相的理解の対象にとどまり、粘り強い思考力や洞察力が育たないばかりか、学ぶ喜びや楽しさも伝わらなくなる恐れがある。基本概念や基礎知識は、最初の学習時点で直ちに理解されなくとも、様々な機会に一貫して教え続ければ,すべての児童・生徒に習得させることが可能となる。過去の学習指導要領の改定では、生徒の学習到達度を根拠として項目が削減されてきた。しかし,学習内容は、生徒の課題意識や学習の必要性を基に選定すべきもので,学習到達度の低さのみを削減の理由とすべきではない. |
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2. 改善のための緊急提言 |
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すべての児童・生徒が必要とする理科の基礎を習得させるために、以下の改善策を緊急に提言する。 |
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(1) | 教育内容の見直し 現行の学習指導要領から欠落した下記の基本概念と法則を補充して教えること。 [1] 原子・分子・電子など物質の粒子論的な構造を理解させ、イメージを形成するための学習。 [2] 物の重さや水圧・浮力など物質の基礎的概念とその相互作用に関する法則を生活の事例から学ぶ学習。 [3] 現代の技術や自然観を理解する際に必要な「エネルギー概念」とその基礎である「仕事や熱」の学習。これらの基本概念や法則は,初めて学ぶ学年で、すべての生徒に習得させることができなくても、習得の目標として設定し,教育現場の判断で学年を越えて繰り返し学習させることが望ましい。そのためには、現行の学習指導要領において「学年指定」の規定などを弾力化する必要がある。 |
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(2) | 授業時間の見直し 理科の授業時間が絶対的に不足しており、その面白さや重要性を伝えることが困難になっている。諸外国の科学の授業時間と比較しても、その差は歴然としている。理科と他教科の関連を活かしつつ、理科に関する授業時間が実質的に確保されるような方策を講じることが急務である。特に小学校1,2年での理科の教科を設置することが望まれる。 |
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(3) | 教師の研究・教育条件の改善中学の理科教員は、実験の準備、教科研究、生徒との討論などに多くの時間を要するが、諸業務に追われ、本来の業務への対応が十分でない。また小学校でも、理科を専門としない教員が理科を担当するケースが多く、適切な教材作りや面白さを伝える授業の実施が困難である。この状況を改善するため,理科教員を増員し,教員の自主的研修の機会を保障すべきである。 | |||||||
3. 物理学の観点から見た「義務教育で習得すべき理科の基礎」 |
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地球上の全ての人は、科学技術に囲まれた社会の中で生活し、自然との調和を保つ責任を負いながら生きている。このような時代にあって、個々の人間が、知的に充実し、豊かな生活を享受するには、理科の基礎を学ぶことが不可欠である。特に、物理学分野の習得に関しては、以下の3点が大切である。 |
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(1) | 自然には、人間の願いや意図とは独立に、多様な法則や構造が存在している。人が支障なく行動し、自然と共生するには、このことを理解する必要がある。自然観察やもの作りなど自然への働きかけを重視した学習を通じ、実感を持って体得することが望まれる。 | |||||||
(2) | 自然界には質量保存則やエネルギー保存則、物質の粒子論的構造など、普遍的に成り立つ概念や法則や構造がある。これらの概念や法則は様々な現象を定量的に把握することで理解できる。自然現象や現代技術の仕組みを、この視点からとらえ、それらを探求する基礎的な方法論を身に付けることが望まれる。 | |||||||
(3) | エネルギー問題や震災など社会が直面する課題について、その物理学的側面を考察し、社会や個人が選択すべき対応に関し、独自の見解を持つことが望まれる。そのために、具体的な事例を通じて科学的思考力を育て、社会的なひろがりの中で判断する訓練を行う必要がある。 | |||||||
児童・生徒の成長や発達に応じ、義務教育期間を3つの段階に分けて考え、その段階ごとに学習すべき内容の骨子の一例を以下に示す。今後も小・中学校および高等学校の教員と共同で検討を続け、その内容を順次提言する。 |
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第1段階(小学校低学年) 物理的な玩具遊びやものづくりなど自然に主体的働きかける経験や、それを言葉で表現する経験を通して,将来理解すべき自然の法則と概念、さらに自然と人間との関係を体験的に学ぶ。たとえば,ゴム,風等を動力にした玩具、やじろベえなどのバランス玩具、磁石,光を使った玩具づくり、手作り楽器等がある。これらの作業を通して、児童・生徒自身に様々な工夫をさせることによって,自然の不思議と驚きの感覚や科学への興味を育てる。このような学習は,科学の基礎的な内容や方法を理解し、人間と自然の関係を考える土台を作るためにも不可欠なものである。 |
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第2段階 (小学校中・高学年) 自然と科学に対する興味や関心を基にして、様々な現象に共通して存在する性質や法則を発見し理解を深める。ここでは量的に探求する方法や、初歩的な実験・観察技術も学ぶ。たとえば、空気は体積や重さ(質量)をもつから「もの」のひとつだと理解し、すべての「もの」が持つ体積と質量を学習し、その比としての密度の概念を確立し、その違いでものの浮き沈みなどがおこることを学ぶ。さらに、仮説や予想を立てながら実験を行い、算数や数学の学習とも関連させながら自然科学の思考法の典型を学ぶ。同様に、熱現象,簡単な電気回路,光,音、力などの現象も対象とし、物理科学の初歩的な概念や法則を学ぶ。 |
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第3段階 (中学校) 自然現象の体系的理解を促進する学習を進める。たとえば、目に見えない原子・電子・イオンなどの基本的な学習を、化学分野の学習とも関連させて理解する。また身近な自然現象の基礎となっている大気の圧力、水圧、浮力の学習を、地学分野の学習と関連させ、天体や気象につながる現象としても理解する。エネルギーの保存や変換や拡散についても、仕事と熱の学習を通して体系的に理解する。またモーターや発電機などの身の回りにある道具や製品についても、その原理を学ぶことを通して電磁気の基本的な法則を理解する。生物分野の学習とも連携して、自然環境と科学・技術との関係など現代社会が直面する諸問題を考察し判断する力と倫理観を養う。 |
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2004年7月5日
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